第四高等学校開学120周年記念イベント
学都の心を再び
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写真で見る第四高等学校 
  • このページでは,「金沢大学五十年史:通史編」「金沢大学写真でみる50年」「写真集旧制四高青春譜」等に掲載された写真とともに,第四高等学校の姿を振り返ります。
  • 掲載されている写真の無断転載は行わないで下さい。は,能登印刷の許諾を得て「青春譜」から転載させて頂きました。
  1. 四高の建物
  2. 運動部の活躍と体育施設
  3. 寮生とファイアーストーム
  4. 帽子・校旗
  5. 四高の蔵書
  6. 三々塾と西田幾多郎
  7. 四高の雑誌
  8. 前身校と現在
☆ 四高の建物
●明治期四高の校舎群(明治41年)
金沢城から現在の中央公園方向を望んだ風景です。左奥に四高本館,右側に時習寮が並んでいます。
●第四高等学校模型
これは,現在,石川近代文学館の展示室に置いてある模型です。上の写真とは丁度反対の方向から写したものです。の平面図と合わせて建物を確認して下さい。
●第四高等学校平面図
第四高等学校の敷地内の建物の配置を示した平面図です。下の方が本館,上が金沢城側となります。現在の中央公園より一回り大きな敷地です。

左の図は第四高等学校一覧(昭和17年4月〜昭和18年3月)から読み取ったものです。クリックすると拡大された図がPDFで表示されます。
●第四高等中学校本館の全景(明治25頃)
開校5年後に完成した赤レンガ建ての荘重な建物です。この建物は,当時のまま保存されており,現在は石川近代文学館となっています。
●第四高等学校正門
左の写真は,大正13(1924)年金沢医科大学薬学専門部卒業アルバムから転載したものです。
●雪の中の至誠堂(講堂)と静勝館
至誠堂は,明治26年に落成した講堂です。昭和4年に大改築され,一新されました。

右側の建物は,静勝館という屋内体育施設です。
●至誠堂の内部
写真右側に大きな額が掛かっています。これには「至誠」と書かれています。これにちなんで,「至誠堂」と呼ばれています。
上の写真の右上に掛かっている額は,現在,金沢大学資料館に展示されています。
●物理化学教室
四高では,実験を含めた自然科学教育も重視しており,この写真にあるような物理化学教室が設置されています。この建物は現在は,博物館明治村に移築されています。

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●時習寮
1893(明治26)年10月に建設された木造2階建ての寮。村上長之助教授により論語学而編冒頭の「学而時習之,不亦楽乎」にちなんで命名されました。写真左から,北寮・中寮・南寮・寮務室棟です。1909(明治42)年の写真。
現在,時習寮の額は,石川近代文学館に展示されています。
●茶寮
1912(明治45年)1月に設置された集会所。この写真は1937(昭和12)年に四高創立50周年記念事業として新築された記念館内に移った後の写真です。
☆☆ 運動部の活躍と体育施設
●水泳部と北辰会プール
1934(昭和9)年5月,待望の北辰会プールが完成しました。これは完成時の写真です。その後,1936(昭和11)年7月このプールは四高に寄贈されました。
無声堂
柔道、剣道、弓道の三つの道場が一つにまとめられた建物。柔道場の床下にスプリングを入れて床のはずみ具合を良くしたり、剣道場の床下に音の反響を良くする工夫がされています。弓道場の的の屋根は昔ながらの茅葺きになっています。この建物は現在,博物館明治村に移築されています。

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●弓道場
弓道場での試技。1909(明治42)年の写真です。

●伝統・強豪の四高柔道部
四高柔道部は,第1回の高専柔道大会(大正3年)で優勝し,その後,7連覇を達成しました。
●野球
1930(昭和5)年7月,甲子園で行われた第7回全国高専野球大会で全国制覇をしました。その時の写真です。
●ボートレース
明治28年に四高ボート部が部活動を開始しています。大正6年以降,毎年六高との定期戦が開催されました。
●琵琶湖で遭難した漕艇部員合同葬
昭和16年4月6日,前年のインターハイで5回目の優勝を飾り,連覇に向けて練習を積んでいた,漕艇部が琵琶湖で遭難する事件が起きました。大津市瀬田川でクルー11名が行方不明となり,5月10日四高講堂で合同慰霊が行われました。

翌年の「北辰」は,追悼号となり,文部大臣の弔辞など友人たちの追悼文が掲載されています。

●八高の「挑戦状」
四高は名古屋の八高には,特に強い対抗意識を持っていました。陸上競技,野球に始まり,庭球・講演部などもこのような「挑戦状」を突きつけ合いました。
●八高を迎えての金沢市中行進
昭和10年名古屋での応援団衝突事件まで,毎年7月,四高と八高は金沢と名古屋を交互に訪れ,競技をしました。両市民を巻き込んでの名物行事でした。
☆☆☆ 寮生とファイヤーストーム
●時習寮記念祭祝賀行列
昭和9(1934)11月3〜4日の写真(四高時習寮記念写真帳 昭和9年度から)
●記念祭の全寮ストーム
四高記念祭大運動会の後には,きまって全寮ストームが繰り広げられました。左の写真からも寮歌が聞こえてくるようです。
☆☆☆☆ 帽子・校旗
●帽子1
左側が四条の制帽で,右側が夏帽子です。
●帽子2
その後,大正8(1919)年,制帽は二条に変更されました。
●校旗
四高の校旗です。明治42(1909)年9月24日に制定されました。
☆☆☆☆☆ 四高の蔵書
●Encyclopedia Britanica
四高開校式に,有志者から寄贈された「エンサイクロピジャア・ブリタニア」の写真です。
金沢大学附属図書館には,第四高等学校をはじめ,全国各地の旧制高等学校一覧が残されています。旧制高等学校史を研究するための貴重な資料となっています。
☆☆☆☆☆☆ 三々塾と西田幾太郎
●三々塾
明治33年にその年号にちなんで付けられた塾。塾というのは,民家を借り上げて生徒が共同生活を営むものです。その後,学校当局の保護奨励もあり,出身地別,運動部別,サークル別など数多くの塾が金沢市内に設けられました。
明治41年の三々塾生。中断右から2人目が西田幾太郎です。
☆☆☆☆☆☆☆ 四高の雑誌
●学友会雑誌
明治25年,四高の職員・学生で組織された親睦組織です。「会員の美徳を養成し一致協同以って校風を発揚し併せて身体知識の発達をはかる」ことを目的としています。

運動部以外にも学芸部が置かれ,「学友会雑誌」とう雑誌が発行されました。
●北辰会雑誌1
その後,内部的紛糾のため学友会は明治27年夏に学校当局から解散を命じられ,翌28年2月,生徒の総意によって「北辰会」が結成されました。その名前は論語為政編の「北辰,その所に居り,衆星,之を共うがごとし」から取られています。

北辰会は,「学芸を講究し体育を練磨し会員の徳性を涵養し以って純良なる美風を発揚する」ことを目的としています。その機関紙が「北辰会雑誌」です。

●北辰会雑誌2
北辰会雑誌は,現在,附属図書館の特別資料室に保存されています。
●検閲された表紙
「北辰会雑誌」第96号(大正12年3月号)は,当初マイヨール「女性裸像」で表紙が印刷されましたが(写真左),学校当局から検閲を受け,差し替えられました(写真右)。この「マイヨール版」は石川県立歴史博物館で所蔵しています。
●超然
明治39年頃,時習寮南寮での火事を契機とした,「超然主義」が発生しました。その後,「超然」は四高の校風を象徴する言葉となります。
四高社会思想研究会の活動
昭和に入り,「北辰会雑誌」に対する監視が強まる中,前衛的文芸誌「広場」が発刊されました。それに伴い,学生運動も活発化しました。右の写真は,それを観察した,評論家石堂清倫によるメモです。
☆☆☆☆☆☆☆☆ 前身校と現在
●明倫堂
四高の前身校の一つ加賀藩校「明倫堂」の扁額です。これは現在,金沢大学資料館に保存されています。
●金沢大学附属図書館中央図書館
現在の金沢大学附属図書館中央図書館の吹き抜けです。天井には四高の校章がデザインされています。