平成19年度金沢大学資料館・附属図書館特別展

写真でみるいしかわの師範学校

金沢大学の前身となる師範学校は,石川師範学校石川青年師範学校金沢高等師範学校の3つです。それぞれの学校の概要,校章,立地場所を紹介しましょう。 →各学校の年表

石川師範学校

石川師範学校の校章
石川県内各地域の主として小学校教員の養成機関。略称は「石師」

【沿革】 1874(明治7)年8月,小学校教員を養成するために石川県集成学校として設立された。同年11月,石川県師範学校と改称。翌75年,女性教員養成をはじめ男子師範校舎内で修学させた。これが石川県女子師範学校のはじめとされる。1883年11月,女子師範を併合する。1889年11月には,四高に仙石町の校地を引き渡して広坂通り88番地に移り,1913年4月には石川郡野村の新築校舎に移転している。1914年4月,石川県女子師範学校が分立した。1943年3月,石川県師範学校は「師範教育令」により専門学校程度に昇格し,文部省直轄学校となった。同年4月,石川県女子師範学校を合併して,石川師範学校男子部・女子部となり,男子部を弥生町に女子部を広坂通りに置いた。1948年11月,当初は石川教育大学設立のために準備を進めていた「暁烏文庫」を,男子部附属小学校前庭に竣工する。1949年5月,新制国立大学の金沢大学に包括されて金沢大学石川師範学校と改称し,51年3月に廃止された。

【卒業者数】 石川師範:6,750余名(本科以外の課程修了者を含む),女子師範:2,470余名(1915年以降の石川女子師範学校(石川師範女子部)も含む)

【同窓会】 石川師範同窓会,女子師範同窓会が活動を続けていたが,1998年に解散。

【蔵書】 金沢大学附属図書館が継承。なお,現在附属図書館のコレクションである「暁烏文庫」は,石師校長の清水暁昇らが師範学芸大学設立に役立てるために宗教家の暁烏敏に寄贈依頼を行ってできたものである。その他,石師出身者吉岡(旧姓宮崎)勝恵の寄付金によって「郷土の研究に関する文庫」として収集された吉岡文庫(408冊)がある。
(参考)暁烏文庫の沿革

【校歌】 石川師範学校の校歌です。
石川師範学校校歌(佐々木信綱作詞,上 信行作曲)
女子師範学校校歌(佐々木信綱作詞,島崎赤太郎作曲,今井松雄伴奏譜作曲)
※音楽ファイルはMP3形式です。うまく再生できない場合は,一旦ファイルをダウンロードした後,メディアプレーヤー等でお開き下さい。

女子師範学校の校章

石川青年師範学校
尋常小学校卒業後〜徴兵前の勤労青年教育のための教員養成機関。略称は「青師」

【沿革】
1918(大正7)年4月,石川県立農業学校教員養成所として設立された。21年4月,石川県立実業補習学校教員養成所と改称。1937年4月,石川県立青年学校教員養成所に改設し,石川県立女子青年学校教員養成所を設立する。1944年4月,女子青年学校教員養成所を合併して石川青年師範学校となり,河北郡津幡町に設置された。46年6月,金沢市野田町に移転する。49年5月,金沢大学に包括されて金沢大学石川青年師範学校となり,51年3月に廃止された。

【卒業者数】
560余名(養成所時代を含む)

■金沢高等師範学校
戦争末期,科学教育振興のために設置された理数科中等教員養成機関。修業年限4年の全寮制学校

【沿革】 1944(昭和19)年3月,勅令第132号をもって金沢高等師範学校は設置された。金沢市から中村町国民学校の校舎・敷地の寄附を受ける。同年5月,第1回入学式を挙行した。同年12月,文部省の指定により特別科学教育研究班を金沢高等師範学校内に設置した。1946年9月,金沢市野田町180番地へ移転する。翌47年3月,理科(1部数学科・2部物象科・3部生物科)の外に,文科(1部英語科・2部地歴科)を開設した。49年5月,金沢大学に包括されて,金沢大学金沢高等師範学校と改称。1952年3月,廃止された。

【卒業生数】 390余名

【同窓会】 金沢高師同窓会。会誌「無限」を発行
(参考文献)
  • 金沢大学50年史.通史編/金沢大学50年史編纂委員会編,1999年
  • 江森一郎,谷本宗生:金沢大学事務局所管の金沢高等師範学校・第四高等学校・石川師範学校関係資料.金沢大学教育学部紀要(教育科学)第48号,pp.17-31, 1999年