平成19年度金沢大学資料館・附属図書館特別展

写真でみるいしかわの師範学校
当時の写真で「いしかわの師範学校」の姿を振り返ってみましょう。なお,ここに掲載した写真は,以下の資料に掲載されていたものを再構成したものです。
●各学校の建物の写真
明治の師範学校の全景
広坂の学校(旧附属小・中学校キャンパス)を石浦神社側から望んだ全景写真。
石川師範の正門
明治期、広坂通りにあった師範学校。正面奥に本部、右側に附属小学校の建物が見える
石川師範学校男子部
石川師範同窓会『石川師範同窓会百年記念誌』1988から
石川師範学校女子部
石川県女子師範学校・石川師範学校女子部しらゆき会『会誌 しらゆき』1991から
石川青年師範学校
『金沢大学創設資料弍巻』から
金沢高等師範学校
『金沢大学創設資料 弍巻』から
教育学部新校舎
(昭和27(1952)4月,提供:元文学部教授 金崎肇氏)
金沢大学の創設時教育学部は弥生の旧石川師範学校男子部校舎におかれたが,昭和27(1952)年2月11日,一部を除く教育学部各科は城内旧兵舎を改装した校舎に移転した(『金沢大学十年史』,1960)。弥生校舎はその後,金沢市立泉中学校が使用している。現在は同校敷地内に「教育の泉−石川県師範学校の跡」の石碑がある。
●各学校の学生の写真
【石川師範学校】
石川県師範学校乙種講習科(明治32(1899),提供:教育学部)
「講習科」は明治30(1897)年4月に設けられた小学校教員速成のためのコース。修業期間1カ年の甲種と6ヶ月の乙種があった。(『石川県史第四編』,1931)
勤労動員・琵琶湖干拓(昭和19〜20(1944〜1945) ,提供:昭和22(1947)石川師範学校本科卒 道瑞孫左エ門氏,平田実氏
昭和19(1944)年の夏以降,石川師範学校での勤労動員が本格的に開始された。昭和19(1944)年12月から昭和20(1945)年3月まで滋賀県の能登川町に出動し,B29が飛来する寒風の中琵琶湖の干拓作業にあたった。干拓地は現在農地になっている。
卒業写真1
現存する卒業写真中最も古くて鮮明なもの。明治24年撮影。前列に並ぶ女学生の服装は鹿鳴館の影響か。(前から2列目,左から4人目)に加藤校長の姿が映っている。
卒業写真2
大正8年撮影、戦前の代表的な卒業写真
石川県師範学校の校門と昭和の師範生
学帽・詰め襟・高下駄姿。当時移転して男子師範学校は金沢市野村(現金沢市弥生)にあった。
附属小学校のふじだなおとぎ会
毎年5月,満開となった校庭の藤棚の下で開かれてきた明治期からの伝統の学校行事。創作童話や昔話,紙芝居などを聞いた楽しいひととき。
農場での実習
大根の間引き作業を終えた女子学生。
女子師範の運動会
小学校教員用の教材研究をかねての懸命な演技。それを見守る大勢の保護者たち。
附属小学生の下校風景
大正デモクラシーのもとに教育革新がすすみ、一時期ではあったが附属小学校も自由な雰囲気に包まれた。金沢市野村の新校舎から下校する生徒たち。
豪雪の中の校舎屋根雪下ろし
昭和15年は50年ぶりの豪雪で、金沢市だけでなく全県に大被害をもたらした。雪害に各用水の氾濫も加わったという。
教職科目の講義
黒板にはいかめしい文字で「合理創造精神」等とある。
教育実習中の師範生
附属小学校での国語の授業実習。
石川師範生の学校生活
厳格な規律の全寮制生活はつらかった。日々の清掃のほか,毎土曜日には室外清掃も行った。
石川師範生図書閲覧室
図書閲覧室でくつろぐ師範生の写真。

【石川青年師範学校】
輪読会に励む青年学校生
青年師範の前身の青年学校時代の写真。日中の厳しい農場実習の後,夜はこうした読書会に励んだ。
収穫
農業実習の写真(昭和19(1944),石川青教青師五十年)

【金沢高等師範学校】
第1回入学式
昭和19年5月8日の入学式。戦時下,理数科中等教員養成を目的として金沢高師は急設された。当初市内中村町の学校校舎を転用した。
特別科学研究班
昭和20年1月 ,出典:『記念写真帳第1集 ,提供:理学部
昭和19(1944)年12月26日文部省は「特別科学教育研究実施要項」により,京都帝大,東京高師,広島高師,奈良女高師,金沢高師の5カ所に「特別科学教育班」を設置を命じた。要項は「科学に関し高度の天分を有する学徒に対し特別なる科学教育を施し我国科学技術の飛躍的向上を図らんが為之が実施に関する方途を研究せんとす」とし,翌20(1945)年1月12日これを受け,金沢高師に「特別科学教育班」が設置された。