佐藤 文彦先生(キャンパス・ノベルと大学教員)

平成26年3月31日~平成26年7月23日中央図書館で展示されました

キャンパス・ノベルと大学教員
-知られざるおじさん・おばさんの生態学

佐藤 文彦先生(人間社会学域 人文学類)

 大学生にとって、もっとも身近な大人とは誰でしょうか。親元を離れ、金沢で独り暮らしをしている場合、それは(バイト先の店長を除くと)大学の教員かもしれません。だけど大学の先生は、小中高の先生に比べ、必ずしも学生との距離が近くありません。毎日教室でいっしょに給食を食べることもありませんし、ホームルームで熱く説教することもないからです。年齢的には大学生の両親と同じくらいの教員が多いですが、親子ほど付き合いが深くも長くもないですから、かりそめにも酔っぱらって学生をファーストネームで呼ぶことなど、断じてないはずです(あったらこっそり教えてください)。つまり、大学教員とみなさんたち、大学生との距離は、実はけっこう遠い、人里離れた同じキャンパスに棲息しながら、お互いにあまりわかり合えていないような気がします。

 学生から「先生は授業のない時は何をしてるんですか」と聞かれることがあります。私を介して大学教員に関心を持ってくれるのはうれしい反面、この質問には少なからず戸惑いを覚えます。先生のミステリアスな魅力って、そんなにたやすく土足で侵入されてしまうのネ…という事実が悲しいからではなく、大学生にとって大学教員は、週にひとコマの授業以外、どんな仕事をして、どうやって(何を考えて)生きているのか、何も知られていないことに、あらためて気づかされるからです。

 今回の読書案内は、そんな知られざる大学教員がテーマです。「建前は高い教養を守り真理を追求することに専心しているのですが、実際には普通の人間的弱点と、普通以上の奇矯さを持った人間である」(デイヴィッド・ロッジ)大学の教員たち。彼らの生態を、多少のデフォルメとカリカチュアでもって描いた小説(キャンパス・ノベル)の読書を通じて、みなさんが日々接する大学教員に少しでも親しみを持ってもらえれば、と思います。以下に紹介する架空の大学の先生たちを、親にはしたくないけれど、親戚のおじさん・おばさんくらいならアリかな、と思ったら、その寛大な心構えで金沢大学の教員にも接してみてください。教員と学生の距離を縮め、私たちのキャンパスの風通しをよくしてくれるかもしれない、若いみなさんの柔軟さに期待しています。

1.交換教授 : 二つのキャンパスの物語 / デイヴィッド・ロッジ著 ; 高儀進訳, 白水社 , 2013 (図開架 933:L822)

2.小さな世界 : アカデミック・ロマンス / デイヴィッド・ロッジ [著] ; 高儀進訳, 白水社 , 2001.9 (図開架 933:L822)

3.考える… / デイヴィッド・ロッジ著 ; 高儀進訳, 白水社 , 2001.8 (図開架 933:L822)

4.ベイツ教授の受難 / デイヴィッド・ロッジ著 ; 高儀進訳, 白水社 , 2010.4 (図開架 933.7:L822)

 現代キャンパス・ノベルの第一人者、デイヴィッド・ロッジ(1935- )の作品群です。ロッジの小説の主人公は、イギリスの語学・文学系の大学教員が多いですが、自らの研究業績作り(論文の執筆)に煩悶し、学会の動向に右往左往する姿は、日本の教員もそう変わりません。ロッジの作品に登場する、小心なくせに野心的で、尊大なくせに妙に素直な大学の先生を「愛おしい」と感じたあなたは、大学教員の扱いを心得たも同然です。言語学や文学研究の基礎知識を得られつつ、掛け値なしに読んでおもしろいキャンパス・ノベルを、ロッジは数多く書いています。

5.輝く日の宮 / 丸谷才一著, 講談社 , 2003.6(図開架 913.6:M389)

 日本の作家でコンスタントにキャンパス・ノベルを書いたのは丸谷才一(まるや・さいいち、1925-2012)です。本作は金沢市が主催する泉鏡花文学賞受賞作。主人公・杉安佐子先生の『奥の細道』や『源氏物語』をめぐる考察も知的に刺激的ですが、先生が彼氏に赤飯を焼海苔に載せて食べさせる描写が実に魅力的です。「乾いた海のものとやや湿つた野のものとの思ひがけない出会ひがもたらす味と舌ざはりを喜んだ」。小説でも現実でも、大学教員は食(と酒)に蘊蓄が深い人が本当に多いです。

6.Futon / 中島京子[著], 講談社 , 2007.4(図開架 913.6:N163)

 アメリカの大学で日本文学を講じるデイブ・マッコーリー先生が、日系の女子大生エミに翻弄される物語です。「四十六年間も生きているのに、いまだにスマートに恋を終らせることができない」先生の専門は、田山花袋の『蒲団』(1907)。百年前に書かれた小説の主人公と同じように、若い女の子に振り回されて取り乱す先生いわく「恋をして、おたおたしている男って、ちょっとキュートじゃない?」。「恩師」「保護者」という役割をあてがわれてなお、学生に恋してしまう中年男の複雑で滑稽な心情を笑い飛ばしてください。

7.文学部唯野教授 / 筒井康隆著, 岩波書店 , 2000.1 (図開架 913.6:T882)

8.工学部ヒラノ教授 / 今野浩著, 新潮社 , 2013.7 (図開架 377.21:K82)

 ただの、とか、ヒラの、とか、必要以上にへりくだった苗字の先生おふたりですが、これは作者の韜晦(とうかい)(=本心や才能をつつみ隠すこと)です。『唯野教授』が学内の権力争いに明け暮れる大学教員の痴態を描いた「小説」であるのに対し、『ヒラノ教授』は研究と教育と雑務(会議や書類作り)に日々奮闘する大学の先生の「実録」です。大学教員という肩書は同じでも、文系と理系ではこうもカラーが違うのか、と驚くかもしれません。タイトル以外、ほとんど似通ったところのない二冊ですが、両先生とも講義を学生との「決闘」の場と見なし、真剣勝負を挑むところは共通しています。だけどその一方で、教室では見せない裏の顔を持っているのもまた、大学教員の本当の姿です。

9.真昼のプリニウス / 池澤夏樹著, 中央公論社 , 1993.10 (図開架 913.6:I26)

 大学教員の時間感覚は、一般のそれとは異なることがあります。本書の主人公・芳村頼子先生は地質学(火山学)の専門家で、具体的な日常の悩みよりも抽象的な思考のなかに生きています。かといって彼女は言葉や理屈だけを信奉しているわけでは決してありません。むしろその反対に、ただ身体だけを動かすことで「生きる感じ」に近づこうと、水泳や登山を行います。このバランス感覚はいかにも大学の先生らしいです。私のまわりにも、「紙の砦、理論と仮説と検証の砦」に閉じこもることなく、スポーツジムや山登りに精を出す同僚はたくさんいます。大学の先生といえば「勉強ばかりしている変人という先入観」は、必ずしも正しくありません。

10.モーダルな事象 : 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活 / 奥泉光著, 文藝春秋 , 2008.8(図開架913.6:O41)

11.桑潟幸一准教授のスタイリッシュな生活 / 奥泉光著, 文藝春秋 , 2013.11(図開架913.6:O41)

12.黄色い水着の謎 / 奥泉光著, 文藝春秋 , 2012.9(図開架913.6:O41)

 東大阪の女子短大から千葉の四年制共学へ勤務先が変わっても、クワコーはあいかわらず無能な大学教員です。ここまで不勉強で仕事ができない先生(が主人公の小説)は珍しいです。読み始めるなら助教授時代の『モーダル…』より、准教授になってからの二作をお薦めします。なぜならクワコーの「低さ」、要するにダメさ加減に磨きがかかっているからです。現実にはそうないはずですが、この先生はすぐに泣きます。それも学生の前で。すると彼の研究室に入り浸る文芸部員たちが、顧問教員の「悲哀の水」に同情してくれます。クワコーに褒められるところがあるとすれば、それは学生との距離、馬鹿にされながらも可愛がられる彼のスタンスかもしれません。大笑いしながら読める小説ですが、大学教員の給与明細のハナシはちょっとリアルです…。

13.喜嶋先生の静かな世界 / 森博嗣 [著], 講談社 , 2013.10(図開架913.6:M854)

 当たり前の話ですが、大学の先生もかつては学生でした。つまり先生にも先生がいるわけです。この小説は、一人称の語り手「僕」が、恩師・貴嶋先生と出会い、先生に直接指導を受けた大学院生時代を中心に、その後の十五年間にわたるふたりの関係を綴った物語です。先生は独身で助手のまま、「僕」は結婚し助教授になっていく後半は切ないですが(それ以上に悲しい結末は、自身で読んでみてください)、貴嶋先生を純粋な研究者、素晴らしい学者と呼べる「僕」は幸せ者でもあります。就職先の上司とは違う、学生時代の恩師と大学教員の関係は、人それぞれに大切な物語があるものです。

14.奥山准教授のトマト大学太平記 / 奥本大三郎著, 幻戯書房 , 2011.12 (図開架 193.6:O41)

 大学経営に対する危機感がまったくない奥山万年准教授は、フランス文学の先生です。先生は大学が鷹揚な、浮世離れした世界だった時代を懐かしみ、「変人だから学者として尊敬されたというのは昔の伝説」と断じますが、それでも奥山先生のような変人がいまだ生存している大学という組織はやはり特殊です。この珍獣が死守する「教養」は21世紀の実社会では役に立たない代物に成り下がりましたが、かといって知って損するものでもありません。「首相続投の構え」という表現を政治+野球+剣道の語彙から成ると分析したり、「皇国の興廃此の一戦にあり」のkの頭韻にこだわったり、cowとbeefまたはpigとporkの違いに考えをめぐらせる先生の講義(漫談?)は、大学でしか聞けません。大学教員が何を考えながらセンター試験の監督をやっているかについて書かれた第7章だけでも、一読の価値ありです。

15.職業としての政治 ; 職業としての学問 / マックス・ウェーバー著 ; 中山元訳, 日経BP社 , 2009.2(図開架310.4:W373)

16.職業としての学問 : 現代訳 : 危機に立つ現代に「働く意味」はあるのか / マックス・ウェーバー著 ; 三浦展訳, プレジデント社 , 2009.9(図開架002:W373)

17.職業としての学問・政治 / マックス・ウェーバー作, イースト・プレス , 2013.3(図開架726:W373)

 ドイツの社会学者・経済学者のマックス・ウェーバー(1864-1920)が、1917年にミュンヘンで学生相手に行なった講演を活字化したものです。なので小説ではありません。『政治』と『学問』が抱き合わせで訳されることが多いですが、今回は『学問』のほうをお薦めします。岩波文庫に古くからの翻訳がある一方、近年新訳がふたつも出て、さらに漫画化までされているのは、現代の日本でもこの講演録にアクチュアルな意味を見出せると判断されたからでしょう(そのあたりの事情は、それぞれの新訳の「訳者あとがき」を参照ください)。ウェーバーの思想だけでなく、その前段として語られる学者の周辺的、経済的事情の厳しさについても、共感するところが多い古典です。

18.おじさん・おばさん論 / 海野弘著, 幻戯書房 , 2011.4(図開架 904:U58)

 実はこの本を紹介したくて私はここまでキャンパス・ノベルについて書いてきました。親子の情愛が垂直的で、恋愛や友情が水平的であるのに対し、おじ・おばと甥・姪の関係は斜線的だと著者は述べます。そして古今東西の芸術家や政治家の実在したおじさん・おばさん、文学や映画に登場する架空のおじさん・おばさんを多数紹介したあと、彼らによる「斜めからの文化継承」の重要性を指摘します。「親は子に責任があり、また直接の利害関係もある。しかしおじ・おばは甥・姪に特に責任はない。その代りに見返りも期待できない。だがそれにもかかわらず、おじさん・おばさんは子どもたちに惜しげもなく愛を注ぎ、知識や財産を贈り、彼らが大人になるとひっそりと去っていき、忘れられる」。私はそんなおじさん・おばさんが、理想的な大学教員だと思います。