The Sword and the Hat* 魑魅魍魎が跋扈する世界を生きる諸君へ(金大生のための読書案内 第33回)

 

附属図書館長 岩見雅史先生(理工研究域生命理工学系)

 

 子供の頃,学校で薦められた選書ほど退屈なものはなかった。おそらく,学生諸君は年配の図書館長の選書を読む気にはなれないだろう。40歳以上年の離れた,親子以上の年齢差のある初老のお薦め図書なぞ,私の経験からは手に取ることもないと思われる。

 

 敢えて,世の中にあまたある大団円,勧善懲悪,御涙頂戴の本から離れ,魑魅魍魎の跋扈する諸君の行途を拒むものあれば武器となる破邪の剣たるいくつかの本を選び授けることで,行途の魑魅魍魎も影ひそめ金波銀波の海静か**な人生に期することを願う。

 

 

破邪の剣たる三振りの本

 

 
韓非子』 / 韓非 [著] ; 金谷治訳注, 東京 : 岩波書店, 1994.4-1994.9, (中央図文庫・新書I124.57:K16)  ▼推薦文を読む

 中国には「一流は韓非子を読み,二流は孫子を読み,三流は三国志を読む」という話があるそうだ。一度は一流を目指して,魑魅魍魎の跋扈する諸君の行途の道案内本も良いかもしれない。 人間学の書であり人間存在についての深い洞察,冷めた目で人間の現実を描きだす。歴史上初めて中国を統一した秦の始皇帝もぞっこん。私も一流を目指して,最初に紹介した。全文は長いので,抄訳本(徳間文庫など)でも破邪の剣の振り方がわかるはず。論語との比較もあるビジネス書,守屋淳著『韓非子』(日経ビジネス人文庫)から読んでは如何か。

 
孫子. 新訂』 / 金谷治訳注, 東京 : 岩波書店, 2000.4, (中央図文庫・新書I399.2:K16)  ▼推薦文を読む

 左で,二流が読むとして紹介した。魑魅魍魎の跋扈する世界では,二流と言われようがある程度の勝利戦略も必要であろう。戦わない戦略もあり得るだろう。消耗しては長い人生,金波銀波の海静かな処に辿り着けない。優勝劣敗の世界で生き抜くために必要な深遠な人間洞察を教えてくれる基本戦略書。人間の本質,この二千年何も変わっていない。それ故,ビジネス書としてのバリエーションも豊富。子供向け,斎藤孝監修『こども孫子の兵法』日本図書センター,までフルラインアップで人口に膾炙している。

 
風姿花傳』 / 世阿彌作 ; 野上豊一郎, 西尾實校訂, 東京 : 岩波書店, 1958.10, (中央図文庫・新書I773:Z41f)  ▼推薦文を読む

 人生設計のガイド本。人生の修行,心得,美など,破邪の剣を持つに必要な教えであり,人生のいろいろな局面で何が必要か,何が欠けているか分からせてくれる指南書。魑魅魍魎の跋扈する競争社会で良い仕事をするためには何が必要なのか,またより良い人生を送るためには,どんな心がけが大切なのか代替本のない唯一無二の人生訓。作者の世阿弥は能の世界におけるイノベーター。魑魅魍魎に敗れた世阿弥は,人生最後の局面で佐渡への流刑。原典の他に『処世術は世阿弥に学べ!』(土屋恵一郎著,岩波アクティブ新書)がお薦めだったが絶版。代わりに同著者による『世阿弥の言葉』(岩波現代文庫),『世阿弥風姿花伝』(NHK『100分de名著』ブックス)。


 

魑魅魍魎の世界を知るために

 

 
群衆心理』 / ギュスターヴ・ル・ボン [著] ; 櫻井成夫訳, 東京 : 講談社, 1993.9, (中央図開架361.44:B697)  ▼推薦文を読む

 NHKテキスト(武田砂鉄著)表紙に「熱狂が『私』を蝕み,理性や良識が易々と消え去るのはなぜか?」の文字が躍る。恥ずかしながら,私はNHKEテレの「100分de名著」で紹介されるまで知らず衝撃を受けた。合理性のない極論が受け入れられ,指導者やメディアによる群衆心理の煽動術が炸裂するさまを描く。群衆心理の特徴とその功罪を鋭く分析,未熟な精神ゆえの付和雷同など,魑魅魍魎が生まれ跋扈する原理?を解説。この原理が分かれば,諸君も魑魅魍魎の世界で健全にサバイバル可能なはず。



脇道のない人生はつまらない。魑魅魍魎の浮世から離れ,たまには,

 

 
ミッテランの帽子』 / アントワーヌ・ローラン著 ; 吉田洋之訳, 東京 : 新潮社, 2018.12, (中央図開架953:L377)  ▼推薦文を読む

 パリの料理屋に置き忘れられた大統領の黒いフェルト帽。その帽子を手にした日から,冴えない人生が美しく輝き始める物語。帽子ひとつに踊らされ人生が変わってゆくおとぎの世界。私もフェルト帽を愛用しているが,冴えない人生続きでまだ幸運は訪れていないと思いたい(これから幸運は訪れると思いたい)。果たして落とし主であるミッテラン(フランス元大統領,2期14年務めた)にも幸運は訪れるのだろうか。


図書館長の専門は,分子生物学(昆虫インスリン遺伝子)であった。
もう過去形が相応しい。二冊だけ挙げるなら,

 

 
インスリンの発見』 / マイケル・ブリス著 ; 堀田饒訳, 東京 : 朝日新聞社, 1993.5, (中央図開架491.45:B649)  ▼推薦文を読む

 研究者人生は,少数の栄光と多数の敗北の愛憎ドラマで成り立っている。研究が上手くいかないことが多かったためか,栄光者より敗北者に共感を覚える。ノーベル賞受賞のバンディングとマクラウド,ノーベル賞をもらえなかったベストの愛憎劇。若手研究者にとって,当時はボスが理不尽に映り,またお互い必要とする誠に魑魅魍魎な存在。残念ながら『インスリンの発見』は絶版のよう。なら代わりに『ワクチン・レース』(メレディス・ワッドマン著,羊土社)。ワクチン開発をめぐる魑魅魍魎の世界。主人公はレオナルド・ヘイフリック。細胞が老化することを発見し,ワクチン開発のもとになるヒト胎児肺細胞を実用化したヘイフリック。彼がノーベル賞を受賞しないのは,魑魅魍魎の世界に生きたからか。

 

がん遺伝子に挑む』 / ナタリー・エインジャー[著] ; 野田洋子, 野田亮訳, 東京 : 東京化学同人, 1991.4, (中央図開架491.65:A588)  
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 がん遺伝子研究のトップランナー,ロバート・ワインバーグは,私の青春時代のヒーロー。ワインバーグ研究室で世界中から集まった野心満々の若手研究者。軋轢あり,妬みあり,感動ありのがん遺伝子との壮絶な戦い。私も,NatureやScienceに発表される論文を1時間でも早く読みたくて,配達時間を見計らって癌研究会癌研究所の図書室に何度も通った。近くには,魚の癌を研究されていた常陸宮殿下。私も舳先に立っていた時代。『分子生物学の夜明け***(ジャドソン著,東京化学同人)と迷ったが,ためらわず?毒気の多い方を選んだ。魑魅魍魎な研究の世界で,如何に破邪の剣が振り下ろされたか。



魑魅魍魎の世界に生きる解毒剤として

 

 
ローマの哲人セネカの言葉』 / 中野孝次 [著], 東京 : 講談社, 2020.7, (中央図開架131.5:N163)  ▼推薦文を読む

 以前,岩波書店から出版され何度も読んだ。セネカは古代ローマ帝国の哲学者,政治家(ローマ皇帝ネロの家庭教師かつブレーンでもあった)。死,貧乏,富,快楽,幸福,運命,友情,生への不安といった誰の人生にも訪れる事柄から,力強く,人のあるべき生き方へと誘われる。セネカ晩年の言葉は,魑魅魍魎の世界で破邪の剣から毒を抜き,人として生きることを教えられる。人間の一生は短くはかない。だから欲の奴隷から脱し,自らを見つめよと。正に,ダメ人間の私に相応しい。


魑魅魍魎の跋扈する巷を低く見て,金波銀波の海静かな処に辿り着けば。
人生のラストは,破邪の剣を鞘に収め,「散ればこそいとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」か,はたまた「つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」のいずれかの辞世を。そこで,

 

 
伊勢物語』 / 渡辺実校注, 東京 : 新潮社, 1976.7, (中央図書庫918:S556:5)  ▼推薦文を読む

 高校時代に憧れた平安貴公子の物語。魑魅魍魎の世界から遠ざかり,人生を謳歌しよう。破邪の剣をやまと歌に持ち替え,「力をも入れずして天地を動かし,目に見えぬ鬼神をもあわれと思わせ,男女の仲をも和らげ,猛き武士の心をも慰む」ことこそ人生。人生のラストは達観して閉じたい。主人公,在原業平を蘇らせた高樹のぶ子著『小説伊勢物語業平』(日本経済新聞出版)も平安の雅の趣。『伊勢物語』が古典過ぎると感じるなら,百年ぐらい新しい『ルバイヤート』(オマル・ハイヤーム著)も人生の諦観を感じさせてくれる選択肢。世の無常観をルバーイイの調べに載せアイロニカルに歌い上げる。哲学的刹那の過去を思わず未来を怖れずの境地に果たして辿り着けるのだろうか。その世界観は,宮沢賢治にも影響が及ぶ。オマル・ハイヤームは,数学,天文学(月のクレーター,惑星にも名を残す)に名を馳せたペルシアのレオナルド・ダ・ヴィンチ。数多くの訳があり,小川亮作訳(岩波文庫,青空文庫),矢野峰人訳(国書刊行会)がお薦めだが,陳舜臣訳(集英社),岡田恵美子訳(平凡社ライブラリー)にも思いが募る。


これで諸君は,魑魅魍魎が跋扈する世界を生きる武器を手に入れたはずだ。
魑魅魍魎の世界はまだ続く。

 

The hat and sword are the insignia of a doctor at the University of Oulu, Finland.

The Sword is a symbol for the scientist’s fight for what he or she, in rigorous research, has found to be good, right and true. The hat is a symbol of liberty. Furthermore, it is a symbol of scholarship and freedom of research. Modified from<https : //www.oulu.fi/en/confermentceremony/hat-and-sword>.

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旧制第一高等学校寮歌「嗚呼玉杯に」より。「魑魅魍魎」とは,人に害を与える化け物の総称。また,私欲のために悪だくみをする者のたとえ。

▽「魑魅」は山林の気から生じる山の化け物。「魍魎」は山川の気から生じる水の化け物。(三省堂新明解四字熟語辞典

*** いずれも入手困難のようだ。それなら,『mRNAワクチンの衝撃』(ジョー・ミラー著,早川書房)。ファイザー新型コロナウイルスワクチンを開発したビオンテック創業者夫妻はいかにして魑魅魍魎を屠り,内外にイノベーションの清を澄み渡らせたかの希有な成功譚。

 

 

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