加納重義教授(本を読まなくなった教員から本を読まない学生諸君へ)

平成21年10月13日~12月25日 中央図書館で展示されました

 本を読まなくなった教員から
    本を読まない学生諸君へ

加納重義教授(理工学域物質化学類)

       

 古今東西日々刻々と発刊され、星の数に勝る程ある本の中から、手にした一冊が誠に「遇い難くして今遇うことを得たり」となる可能性は奇跡と言わざるを得ない。そういう意味で、私はこうした読書案内とか新聞の書評をとても有難く大切にしている。

承前の生田省悟教授から「次は理工の加納さんの番ネ。」と言われたのは、本年の玄冬、まさか自らが書評を書くことになるとは。つらつら顧みれば、昔はそれなりの読書青年であった筆者も、今では老眼鏡の助けを借りて専門書と講義の教科書の他は新聞を読むのが関の山。書評はおろか、とても選書できるような器ではない筆者が絞り出すようにして選んだのは、自らが学生であった頃に読み、星宿三巡しても記憶に残った3冊に、比較的最近読んだ1冊を足しての僅か4冊の本である。当然ながら、始めて手にした時は正読したのであるが、たまたま読み返した折に私流の風変わりな読み方を思い付いたので、副題にご紹介する。読書は面倒なことと思い込んでいる学生諸君がこの副題に興味を持って本に親しむ契機になれば、幸いである。文中の正字(旧漢字)には●印を振った。

1.「文字禍」中島敦著(筑摩書房)1992年、青空文庫収録(http://www.aozora.gr.jp/)
中島敦全集 / 中島敦著, 東京 : 筑摩書房 , 1948 (図書庫 918.6:N163:1-1)

~本を読まない学生の言い訳になる本~
大学の先生方は異口同音に「最近の学生は本を読まなくなった。」と嘆息する。斯(か)く言われた学生諸君にとって天与の一書で、彼の中島敦でさえ『文字ノ精ガ人間ノ眼ヲ喰イアラス』と警句し、はたまた『文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺(まひ)セシムルニ至ッテ、スナワチ極(きわ)マル。』と言い訳できる。よく知られた漢文調の格調高い「山月記」や「李陵」とは趣を異にした平滑な文体で、学生諸君の頻用するWeb上にある青空文庫から無料閲覧でき、失礼ながら何よりもの魅力は超短編の小説で、且つ総ルビ振りであることか。

2.「論語」孔子(著ではなくその弟子達による言行録)、金谷治注(岩波文庫)1963年
論語 / 金谷治訳注, 東京 : 岩波書店 , 1963.7 (図開架 I123.83:R773)

~漢字パズルを解く~
今更に論語を味わって読みましょうと提言するつもりではない。語尾変化を伴う膠着語の日本語や屈折語の英語に慣れた者にとって、語形が全く変化しない漢字が文中の置き位置だけに依存して品詞さえも自在に変える独立語の漢文(古典中国語)は摩訶不思議な言語であるが、ご承知のように論語は高校の初歩程度の漢文法の知識で日本語漢文に訓読できる。変わった読み方を紹介しよう。訓点なしの漢字の羅列、所謂(いわゆる)白文の訓読に挑むと最初はよどみながらの誤読ばかりが続くが、漢字の並び順をよくよく考えて見事読み下せた時はまるで難解なパズルが解けたような達成感が得られる。まさに「論語読みの論語知らず」そのものである。本書の体裁は上段に白文、下段に訓読、続いて簡潔な現代語訳となっているので、下段を隠すとそのまま漢字パズルが始められるのも嬉しい。
但し、主に衣食住の礼法を記した郷黨(党)第十は春秋時代の社会風俗に関する知識がないと難解なので読み飛ばすことをお薦めする。こんな不真面目な論語読みでも、思わぬ発見に遭遇できる。『政正也:政は正也り』、今の政治家に聞かせたいと思う一方、孔子様って親爺ギャグも言ったの?曾子の臨終の言『鳥之將死、其鳴也哀、人之將死、其言也善:鳥の将(まさ)に死なんとするや、其の鳴くこと哀(かな)し、人の将に死なんとするや、其の言うこと善(よ)し』、せめてこれに比肩する感銘深い遺言を今から考えておかなければと思う筆者は、この齢になっても未だ天命の片鱗さえも知らない『五十而知天命』。今日でも教育機関に於いては論語の引用にしばしば出遇う。馴染みあるのが総合教育棟前の中川善之助元学長揮毫(きごう)の『行不由徑:行くに径(こみち)に由(よ)らず』の碑(いしぶみ)。城南中学校校長室に掲げられた湯川秀樹博士直筆の扁額(へんがく)『學而不厭:学びて厭(いと)わず、論語中では、教えて倦(う)まずと続く』は理論物理学を志す学生のみならず、大学人を含めて教壇に立つ者の必見の書。紫錦台中学校の階段踊り場に掲げられた『不恥下問:下問するを恥じず』は眼福の大書。漢字パズルでさらりと読みこなして周囲から注目!
別の漢字パズルとして、まるでパソコンの誤変換漢字の羅列のように一字一音相当の万葉仮名で著された原文「萬(万)葉集」を読むのも面白い。難度は高くなるが、集中の人麻呂作歌は当て字の一種になる義訓や助字を省いた略体表記の多い難訓歌があって手応えある。例えば、『東野炎立所見而反見爲月西渡』の僅か 14字を倍増しの三十一(みそひと)にして、一説には「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立所(た)つ見え而(て)反(かへ)り見(み)為(す)れ者(ば)月西渡(かたぶ)きぬ」と読む。「萬葉集」鶴久、森山隆編、(桜楓社)1972年。

3.漢字百話 / 白川静著, 東京 : 中央公論新社 , 2002.9 (図開架 821.2:S558)

~漢字の因数分解~
日本人学生なら平素の書きものには殆ど意識することなく漢字を音訓を表す記号として使っており、その一字一字に取り立てて疑念を持つこともあるまい。抑(そもそ)も漢字の成り立ち・構成は象形、指示、会意、他に形声、転注、仮借(後漢許愼著、説文字解の六書(りくしょ)の法)にあることはご存じの通りである。殷代甲骨文や周代金文(きんぶん)に見える漢文字の形態分析に基づいて字素に分解し、現代義からはおおよそ想像も付かないような草創期における本義を看破する一方、現行基本書体である明朝体(但し、教育・当用漢字のそれではなく、正字即ち旧漢字を指す)においても一点一画に至るまでが決して意味のない線や点の集まりではないことが熱く語られている。しばしば美字としても使われる「白」の本義は、本書に曰く、頭髪を残して白骨化した頭蓋骨の象形、「道(どう)」は発音から見ても形声ではないことは察しが付くが、首と辵(ちゃく:辶の原形)がまさか首級をぶら下げて歩み進むおどろおどろしい会意であることに驚愕する。著者による字素解釈の論法は、あたかも漢文字を数学的に因数分解しているようでもあり、理系の学生諸君もごく自然に頷(うなづ)けるだろう。中国では早くに倫理規範として成立した儒老思想の下にそれ以前にあった古代宗教は厚く塗り込められてしまったが、漢字本義の解明過程で黎明期の漢字創成集団(恐らくは神職・占師)が共有していたと想像される天帝や森羅万象の精霊に対する畏敬とか呪術と犠牲に満ち溢れた宗教観があぶり絵のように浮かび上がってくるのも興味深い。「靑(青)」の本義は、顔料の朱丹(あかに)を採掘する縦坑の象形「丹(たん)」に音符の「生(せい)」を加えて青丹(あおに)の採掘坑を区別した字であるが、やがて「青」に底通する青い・澄み切った・静かなどに意味分化して清、、精、靖、晴、静、睛などの形声字(特に亦声(えきせい)と云う)が派生し,偏と旁のバランスと云った字形構成美をも具備していった。漢字の作成原理を物質化学類担当の筆者から見ると、まるで有機化学の構造式のようにシンボリックな元素記号を棒線で繋いで有意な分子構造に仕立てていく描法にも酷似していて少なからず共感を覚える。こうした「白川の文字学」は、初等漢字教育の場で意欲的に活用されて効果を上げていると聞き及んでいる。学校教育学類の学生諸君には是非一度は通読して戴きたいが、アラビアンナイトのように主題を限った百話仕立てであるので、どの章話から読んでも、またどこを読み飛ばしてもよい。興味を持たれた方には、高価になるが「常用字解」同著(平凡社)2003年をお薦めする。

4.金沢 ; 酒宴 / 吉田健一 [著], 東京 : 講談社 , 1990.11 (図開架 913.6:Y65)

~不眠症の学生のための良薬~
題名はズバリ「金沢」、「酒宴」は同収の短編の題名。ワンマン宰相と云われた吉田茂を父にもつ著者は、無類の食通で金沢の街をこよなく愛したと伝わっている。その文体は、探さないと見つけられない程の句読点の少なさ、曖昧模糊とした文意、眼前の情景と観念の中の情景の渾沌とした交錯など、著者には叱られるがはっきり言って非常に読み辛い作品である。眠れない夜にこの本を手にすると、その読み辛さが副作用や常習性なしの誠に優れた睡眠薬となり、ものの二、三行に目をやるだけで完全熟睡に入ることができる。とは云え、著者の「朦朧体」なる文体の幻想的な雰囲気には酔えるものがある。丁度、霧の中に佇むとか、梅雨時の雨が膚に纏わり付くとかといった感じであり、その文体がまさに金沢の街を表現するに相応しく思えてならない。宋代の青磁の器を評する下りに『青磁の底に浮かび上がる紅:文庫本ではp37、その外に p27、p29、p34、p57、p58』とあるが、このワンフレーズは忘れ難いものがある。金沢を一言以て覆(おお)えと言われれば、即ちこの言葉を拝借したい。全く別な読み方として、この小説に書かれた場面は、固有名詞こそ使われていないが金沢ではよく知られた料亭である。探偵気取りでその店を推理するというのも一興である。五、六章は場面を郊外に移すが、こちらも何処のことかは察しが付く筈である。
己丑夏五月上澣