松本邦夫 教授(志を育てる)

平成23年1月11日~平成23年6月13日 中央図書館で展示されました
平成23年6月16日~9月13日医学系分館で展示されました

志を育てる

松本邦夫 教授 (がん研究所 副所長)

 のめり込むように本を読んだ、あるいは本を読んで面白いと感じたというのは、大学4年生のときに吉川英治の「宮本武蔵」を読んだのがはじめてでした。それまで夏目漱石、芥川龍之介、樋口一葉、・・・しばしば教科書に登場する作家の小説なども読んでみましたが、(僕にとっては)心に響いたとか、続きを読みたいと感じた作品に出会ったことがなく、どちらかというと苦痛を伴うものでした。教科書で定番となっていた作家の作品を読んでつまらないと感じるのは、おそらく、君たちの中にも少なからずいるんじゃないかな、と想像します。「宮本武蔵」を皮切りに、その後、いろいろなジャンルの作品を読みました。ベストセラーだから読んだもの、テレビの番組がきっかけとなったもの、書店の立ち読みでたまたま、など作品との出会いはいろいろです。心に残っている作品と、なぜその作品が僕の心に響いたかを紹介します。

1.「プロジェクトX」シリーズ / NHKプロジェクトX制作班編, 日本放送出版協会, 2000~ (図開架 210.76:P964)

 「プロジェクトX 挑戦者たち」は2000年からNHKで数年に渡って放送されました。戦後日本が著しい発展をとげた中には、多くの無名のリーダー、一途にリーダーを支えた多くの若者がいたことを知りました。テレビの作品を作るために取材された詳しい内容がその後20冊ほどの単行本として出版されました。例をあげると、巨大台風から日本を守るために富士山頂にレーダーを建設した話、新幹線開発の話、日本初の国産旅客機YS-11開発の話、・・・1冊に5-6つの話が紹介されています。どの話にも心が動かされます。きっと君たちも。やがて、君たちはいろいろな形で社会に貢献する人材となるはずです。社会や人のために役立ちたいと思う気持ちを大切にしてほしいと思います。無名の若者がなぜ、日本や世界がわっと驚く、あるいは社会や世界から尊敬される仕事を成し遂げたのか?・・・・・決して頭がいいとか、一流大学を卒業しているという事とは無関係です(だから余計にあこがれる、と言えないこともないですが)。純粋な思いであったり、突出した情熱であったり、ひた向きに継続したことの蓄積であったり、・・・。また、読み返してみたいと思う話がたくさんです。

2.国家の品格 / 藤原正彦著, 新潮社, 2005.11 (図開架 304:F961)

 ベストセラーにもなりましたからご存知の人も多いかと思います。藤原正彦さんは数学者でお父さんは「八甲田山死の彷徨」や「聖職の碑」の作品で知られる作家の新田次郎です。「国家の品格」の中身は数学とは無関係の内容です。なぜ、この本が心に響いたかというと、根底に「武士道の精神」、自然にとけ込む豊かな情緒を大切にする日本人らしい考えや感性、それらが、藤原正彦さんが本書で伝えたい事の原点となっているからです。誠実である、正直である、正義を貫く、清貧にあっても義を重んじる、といったことは武士道の精神ですが、僕を含めて多くの日本人は、サムライジャパン!と言って張り切ることはできても、本来の孤高の精神をずいぶん重く感じると思います。本書では、欧米が作り上げた「民主主義」をフィクションとし、日本人らしい情緒や形を尊重する文明の意義と可能性が語られています。新渡戸稲造の「武士道」(原書は英語でそれを現代日本語に訳したものがいくつか出ていますが)を読むのはできなくとも、「国家の品格」を読むことで日本人の誇りに気付く事ができます。そのことは、多少なりとも独自性や独創性とつながる心情と思います。

3.とんび/重松清著, 角川書店,角川グループパブリッシング (発売) , 2008.10, (図開架 913.6:S555)

 昨年、読んで、今年に入って、もう一回読みました。涙がこぼれました。重松清さんの作品が好きで、これまでに作品の多くを読んでいます。「その日の前に」、「トワイライト」、「流星ワゴン」、「カシオペアの丘で」、・・・。重松清さんの作品には同時代を生きる人だから共感できる思い、話題、喜び、苦しみ、懐かしさ、さまざまな思いが、乾いた土に水がしみ込むようにすーっと心に浸透していきます。恋人、夫婦、友人、同僚、人生にはハッピーエンドとはいかないことに満ちているし、親子、家族の間ですら決して思い通り、期待通りにはならないことがほとんどです。思い通り、期待通りにならなくても、「それでいい」、とどこかで言ってほしい気がします。作品を読むことで自分の心の中に割り切れない思いがあることに気付き、それに気付くと優しくなれるような気がします。

4.生き方の研究, 続 生き方の研究/ 森本哲郎著, 新潮社 , 1987.9-1989.10 (図開架 159:M857)

 森本哲郎氏は哲学者です。哲学者の書いた「生き方の研究」、となると本書に魅力を感じるのは難しそうなところですが、大変読みやすいのが本書の特徴です。月刊誌に連載された15ページ程度の読み切りの短編を集めたものですから、寝ころがって読むにもちょうどいいと思います。古来人間の生き方には、たとえ科学技術の驚異的な進歩があったとしても、変わらない部分が多いと思います。その部分にこそ人間の本性があるでしょうし、優れた先人から学べることがあると思います。本書の短編の内容は、「慰めと安らぎについてー 老子」、「不屈の精神について – ベートーベン」、「経験の教えについて – イソップ」、「自信について – 佐々木小次郎」、「犯罪について – ネロ」・・・、といった具合です。どの先人の話にも惹かれるところがありますが、その捉え方が面白いのです。例えば、「正直について – ・・・」。「正直」ということで、およそこの人ほど正直な先人はないという人としてとりあげられているのは「良寛」です。ある日、良寛さんは「探し物が見つかった時ほどうれしいことはないもんだ」、ということを人から聞きます。本当にそうかどうか、良寛さんは小銭を後ろに投げ、それを探して拾ってみる。けれど、ちっともうれしくない。投げては拾ってみる。ちっともうれしくない。あの人の言ったことは嘘なのか。そのうち、小銭が草むらに入って見つからない。貧乏な良寛さんにとってはとても大切なお金。必死に探すうちにようやく小銭を見つけた良寛さんは、「あった!ほんにあの人の言ったことは本当だ」と納得します。正直であることは難しいです。政治家から正直な話を聞いたことはないし。本書は決して道徳の話ではありません。良きにつけ悪しきにつけ、後世に語られる様々な先人の生き方を支えた特徴的な個性を知ることで、同時に自分自身の個性や多面性についての思いが深まります。

5.できそこないの男たち / 福岡伸一著, 光文社 , 2008.10 (自然図2F一般図書 467.3:F961)

 分子生物学者の福岡伸一さんは「生物と無生物のあいだ」、「もう牛を食べても安心か」、など話題の本を幾冊も書いていますが、本書も他の作品同様、いったいこの人の本業は何なの、と思うほど豊かな表現で読者を引きつけます。生命科学や医学を専門としない人文系の学生や大学院生にも、チョーお勧めです。本書では冒頭から、科学者の思い込みによって生まれた科学、にわかに登場した今をときめく若い科学者の失敗についての臨場感あふれる物語にも引き込まれました。人間を含め哺乳類の原型が「女・雌(メス)」であることがみなさんにもよく理解できるでしょう。そして、「男・雄(オス)」は、あたかも粘土細工でできた女・雌を不器用に変形してできたような印象にかられます。「男・雄」を決定しているのは、他の染色体に比べるとはなはだ頼りないY染色体です。Y染色体は少しずつ小さくなっていてやがて消滅する危機にあるということです。このことは近年草食系に変化していることとは無関係と思いますが、いったいどうなるのでしょう、「できそこないの男たち」は。

6.ガン回廊の朝 / 柳田邦男著, 講談社 , 1979.6 (図開架 490:Y21)

 柳田邦男氏の作品はノンフィクションという分類になります。僕は理学部を卒業後に大学院理学研究科を修了し、その後、3年半ほど大学病院の皮膚科で助手として勤務しました。僕は医者ではないので診療の仕事をしていたわけではないですが、外来や病棟で患者やその家族の人々の様子や言葉に接して、忘れられない記憶として残っていることがいくつかあります。皮膚科に勤務して病気についての研究をすることになったことが本書を読んだきっかけです。本書は東京築地にある国立がんセンターで、設立間もない頃に、胃カメラ、二重造影法、気管支ファイバースコープ、早期胃癌の病理学的分類など、がんの診断・早期発見において世界的にも先駆的な仕事をされた研究者の姿が描かれています。本書はあくまで事実を伝えるノンフィクションです。それゆえに、がんで命を落とす人を減らしたいと必死で仕事に取り組む研究者の情熱と苦悩に深く感銘し、のめり込んで読んだことを覚えています。まっすぐな情熱で研究や仕事を支える医師や研究者、そういう姿にあこがれの気持ちも湧きました。僕は今がん研究所で働いていますが、がんで命を落とす人を少しでも減らす研究に力を注ぎたいと思っています。本書は医学部でない学生にも大きなインパクトを与えると思います。

7.新インスリン物語 / 丸山工作著, 東京化学同人 , 1992.12 (図開架 464.55:M389)

 もしも今みなさんが糖尿病と診断されたとしても、死に怯えることはないでしょう。しかし、1920年代半ばまで糖尿病は死の病でした。1921年の夏休み、2人の若い研究者、バンティングとベストはトロント大学医学部の屋上にある、掘っ建て小屋で、後に糖尿病で命を落とす人達を奇跡的に救うことになる小さなタンパク質を発見します – そのタンパク質がインスリンです。1922年1月には、若年型糖尿病のトムソン少年にインスリンが投与されました。インスリンによって糖尿病による昏睡状態から奇蹟のように目を覚ました人々の話はトロントの奇蹟と呼ばれ世界に広まることになります。その後、インスリンが世界の糖尿病患者を救うことになったのは、それまでは小さな町の薬局程度だったイーライ・リリー社がウシの膵臓から抽出したインスリンを医薬品として供給するようになったからです。一方、現在使われているインスリン製剤は遺伝子組換え技術によって生産されたものですが、遺伝子組換え技術によってはじめてヒトインスリンを作ったのが、バイオベンチャーの先駆けとなった米国のジェネンテック社でした。インスリンの発見からわずか2年後の1923年、バンティングとトロント大学医学部の教授であったマクラウドの2人がノーベル生理学・医学賞を受賞します。ベストと共同受賞できたはずと思っていたバンティングはマクラウド教授とノーベル賞を共同受賞することに腹を立てます。僕はインスリンの発見やインスリンが医薬品として人類を救う話に憧れます。インスリンにまつわる物語には基礎科学の発展、研究者の葛藤や野心、バイオ医薬産業の登場、遺伝子組換え技術の登場による変革など、生命科学や研究者と社会の深い関わりが描かれています。

8.インフルエンザ危機 (クライシス) / 河岡義裕著, 集英社 , 2005.10 (図開架 493.87:K22)1

 昨年、新型インフルエンザ(A/H1N1型)が流行したばかりですが、過ぎてしまうと流行前の不安な気持ちをすっかり忘れてしまいました。本書は一般の読者向けに書かれたものです。インフルエンザがなぜ何千万人もの命を奪ってきたか、なぜ今なお国内だけでも何十万人が死亡する危険性のある感染症なのか、といったことがわかりやすく紹介されています。今、もっとも注意して注視されるべきインフルエンザは、強毒型の鳥インフルエンザ(H5N1型)です。強毒型鳥インフルエンザがいつ、どのように発生するのか、・・・まさに今、世界のどこかで発生してもまったく不思議でないということです。一方、強毒型鳥インフルエンザの恐ろしさは、昨年流行の新型インフルエンザ(A/H1N1型)の比ではありません。それから、インフルエンザそのものの話ではないけど、本文中に、その通りだな?と思う一文がありました。「研究所や大学のシステムが違うように、アメリカと日本では研究者の気質も違う。アメリカでまず気づいたのは、基礎的な研究を専門にしている人も、実に広い視野でものごとを見ていることだった。自分の研究がいつの日かワクチンや新薬の開発につながることを常に念頭におきながら、地道な研究にはげんでいるのである。」 僕もまったく同じことを感じます。みなさんが基礎研究に携わることになっても、あるいは今は基礎的な科学にしか関心がないかもしれませんが、自分の仕事や研究を人のために役立てようと思う素直な心をもってほしいと思います。

9.日本沈没 上,下 / 小松左京著, 小学館 , 2006.1 (図開架 913.6:K81)

 25年ほど前に最初に読んだのですが、昨年、また読みました。「日本沈没」をお薦め図書として紹介するのもどうかなあ?とも思いましたが、でも、強く推薦します。涙がこぼれるような感情が湧いてくるのではないけど、印象的な作品で心に残っていました。日本が沈没するとしたら僕は/君はどうするだろう?家族はどうなる?同僚は?恋人は?日本人は?日本は?世界は?想像することは出来ないです。体力、知識・知恵、経験、想像力、創造力もひっくるめての総合力というか人間力がある人ならできるのだろうと思います。小松左京氏は数えきれないほどたくさんの想像力の引き出しをもっているように思います。日本が沈没することを避けられないこととして登場する人物の言葉、行動、判断にいつのまにかのめり込んでしまいます。それからその人達がまるで実在しているような感覚になり、想像できないことも現実のように感じました。作品に流れる壮大な想像力に触れること自体に新鮮でわくわくする感覚を感じました。