杉村 安幾子先生(怖い話は好きですか?)

平成25年11月6日~平成26年3月28日 中央図書館で展示されました

怖い話は好きですか?
――異界からの招待

杉村 安幾子先生(外国語教育研究センター)

 怖い話・不思議な話が大好きである。そして、かなりの怖がりでもある。
小学校低学年の時、図書館から借りた『耳なし芳一』を読み、あまりの恐ろしさに全身に鳥肌が立った。その晩眠れず、半泣きで「もう怖い話など借りるものか」と思ったが、『耳なし芳一』を返却した後に借りた本は『播州皿屋敷』だった。そしてその晩、またも眠れなかった。
 恐怖感とは人間の本能に根差す本源的な感情であるが、何故か味わってみたいという欲求が生じ、味わった後には一種の快感を覚えてしまう。どの国の文学にも怪奇ものの系譜があるが、それはそうした人間の快感への欲求を顕著に示していると言えるだろう。要するに、どの国のどの時代の人も「怖い話」が好きだったのである。 怖い話は数多くあるが、とりあえず誰が読んでも楽しめる作品を選んでみた。「怖い話と言っても、以下の推薦図書は怪談に奇談にサスペンスと、何でもありじゃないか」と思われる向きもあるかもしれない。それでも、面白さは保証する。教科書や参考書に飽きた人にお薦めである。一冊手にしたその時から、異界への扉は開かれるだろう。「怪談は夏のもの」と決めつけたりせず、たまには怖い話・不思議な話を読んでみてはどうだろうか?
尤も、怖がりでないと怖い話を楽しめない、ということはあるらしい。身内に怪談の類を全く怖がらない者がいる。恐怖感を覚えないゆえに、ホラー映画や恐怖漫画もどこが面白いのかわからないようで、淡々と流して、少しも楽しそうではなかった。以下の作品群も、怖がりでない人にはつまらないラインナップかもしれない。

1.聊斎志異 上下/蒲松齢作,立間祥介編訳, 岩波文庫,1997.01 (図開架 I923.6:H678:1,2)

 「子 怪力乱神を語らず」(『論語』述而編)。孔子は怪異や人知で推し量ることのできないものについては語らなかったという。しかし、中国文学の世界は「怪力乱神」だらけである。そして、それが滅法面白い。『聊斎志異』は綿々と続く中国文学の「怪力乱神」の伝統を継ぐ書である。夜中に庭で水を噴き続ける猫背で白髪の老婆、死体に噛み付き脳みそを啜る半獣人、酒をいくら呑んでも酔わない男の腹の中にいた酒虫、受験勉強中の青年を訪ねる蜘蛛の精が化けた絶世の美女…。清代の文人たちが愛好したエピソードの数々は、後世の読者である私たちに、今なお活き活きと中国の怪異譚の魅力を教えてくれる。

2.江戸怪談集 上中下/高田衛編校注, 岩波文庫,2002.07(図開架 I913.51:T136:1~3)

 江戸時代の怪談を原文のまま(現代仮名遣いではある)収録した全三巻本。例えば中巻にはこんな話が載っている。二人の妾(側室)が並んで昼寝をしているところを目撃した主人。妾二人は眠り込んでいたが、彼女達の長い髪は空中で乱れながら争い、枕元では小さな蛇が二匹食い合っていた。恐ろしくなった男は、二人ともに暇をやり、その後は独り身を貫いたという、有名な「夢争ひの事」。表面からはわからない人の深層心理、それがふとしたことで垣間見えてしまうと、全ての物事の裏が気になってしまう。また、下巻には京都の東洞院に出る片輪車という化け物の話がある。夜中、好奇心からその化け物を覗き見した女、化け物に「私を見るより自分の子を見よ」と告げられ、戻ってみると――。短い話だが、陰惨で恐ろしい。

3.雨月物語/上田秋成著,高田衛・稲田篤信校注, ちくま学芸文庫,1997.10(図開架 913.56:U22)

 江戸怪談文学の完成形とも言うべき一冊。九編を収録。中国の白話小説の影響が見られ、比較文学研究的興味も湧くが、とにかく美しい文体で描かれる幽鬼の世界にぞっとさせられる。特に、夫に浮気をされた妻の呪いを描いた「吉備津の釜」のラストシーンは、何度読んでも恐ろしい。死体も骨も残っていないのに、夫が呪い殺されたことを如実に示す鮮烈な描写となっている(是非、本文で確認してみて下さい)。一方、七年の歳月を経て帰宅した夫を待っていた妻の幽霊を描いた「浅茅が宿」は恐ろしいというより、読んでいて切なさが募る。

4.中国怪異譚 閲微草堂筆記 上下/紀昀著,前野直彬訳, 平凡社ライブラリー,2008.05 (図開架 923.6:K46:1)

 『聊斎志異』と双璧をなす中国志怪小説が『閲微草堂筆記』である。「鬼」は日本では「オニ」で、角やら牙やらがあり、虎皮のパンツを履いて金棒を片手にしているイメージだが、中国では「き」であり、人間は死後、皆この鬼になると見なされていた。いわば中国版幽霊である。本書はその鬼の話が満載である。例えば、ある時、二人の儒者の前に一人の老人が現れ、「この世に幽霊などいるものですか」と告げて、二人を安心させるものの、しばらくすると「泉下の身(幽霊)で暇だったので、つい話し相手が欲しくて出て来てしまった」と言って消え失せたという。幽霊などいないと言った当の本人が幽霊だったのだ。今も昔も、「人は死んだらどうなるのか」ということへの興味は尽きないようである。

5.白衣の女 上中下/ウィルキー・コリンズ著,中島賢二訳, 岩波文庫,1996.03 (図開架 I933:C713:1~3)

 遺産相続人のローラと精神を患っているアンは容貌が酷似していた。ローラの婚約者である準男爵によって行われる、二人の女性のすり替え。ローラの姉マリアンと、ローラを愛する青年画家ハートライトは悪事を防げるのか。1860年の発表当時、イギリスで大ブームを巻き起こしたという伝説的推理小説である。あまりにも面白くて、時の大蔵大臣が読み耽ってオペラ鑑賞の約束をすっぽかしたという逸話が残っているほどだ。ちなみに邦題の「白衣」は「はくい」ではなく「びゃくえ」と読む。同じ作者の『月長石』(中村龍三訳,創元推理文庫,1970.01)はT.S.エリオットによって「最初の最大にして最良の推理小説」と絶賛された。こちらもお薦めしたい。

6.ねじの回転/ヘンリー・ジェイムズ著,蕗沢忠枝訳, 新潮文庫,1962.07(図開架933:J27)

 両親と死別して、イギリスの田舎の屋敷で暮らす幼い美形の兄妹マイルズとフローラ。二人の家庭教師として、若い女性「わたし」がその古めかしい屋敷へやって来る。ある日、「わたし」は邪悪な亡霊が兄妹に憑りつき、二人を闇の世界へ引きずり込もうとしているのを見る。「わたし」は懸命に兄妹を守ろうと、亡霊と闘い始める――。亡霊の意図は何なのか。謎に満ちた会話、意味ありげな描写については、踏み込んだ分析をしてみたいという誘惑に駆られる。幽霊小説の形をとっているが、ある極限下における人間の心理を描いた心理小説として有名。

7.遠野物語・山の人生/柳田国男著, 岩波文庫,1976.04(図開架I382.122:Y21)

 これには解説は不要であろう。柳田国男の名著『遠野物語』である。天狗・河童・神隠し・マヨヒガなど、岩手県遠野を舞台とした民間伝承が淡々と紹介される。日本民俗学の夜明けは本書をもって始まったとされるが、単なる「ちょっと不思議な怪談」としても充分楽しめる、いや最高の一冊と言えるだろう。個人的には神隠しのエピソードが強烈な印象として残っている。神隠しに遭った子供たちは、一体どうしたのだろう?どこへ行ってしまったのだろう?考えれば考えるほど怖くなる。無論、答えはないのだが、実存在の不確かさを突き付けられる思いがしてしまうのだ。

8.青蛙堂鬼談/岡本綺堂著, 中公文庫,2012.10 (図開架 913.6:O41)
  近代異妖篇/岡本綺堂著, 中公文庫,2013.04 (図開架 913.6:O41)

 岡本綺堂の作品はどれも面白い。語り口から内容まで「ハズレ」がないのだ。上記の二冊は百物語の形式を借りて、集まった人々が怖い話・不思議な話を語るというもの。前者収録の「蟹」は、恐らく読んだ人全てが蟹を不気味に思うようになるだろう。蟹好きの人は注意が必要だ。一方、後者収録の「白髪鬼」は最後の一段に背筋がぞくり。同じものを見ているつもりでても、人によって見ている景色は実は異なる、ということを思い知らされる。同じ作者がコナン・ドイル『シャーロック・ホームズ』に刺激を受けて執筆したという『半七捕物帳』シリーズも、時間を忘れて読み耽ってしまうこと確実である。

9.レベッカ 上下/ダフネ・デューモーリア著,茅野美ど里訳, 新潮文庫,2008.02 (図開架 933:D886:1,2)

 ヒッチコックの映画で一躍有名になったゴシックロマン。語り手「わたし」はマンダレーの屋敷に後妻として入るが、屋敷中を覆っている前妻「レベッカ」の気配に慄く。レベッカは謎めいた水死を遂げ、既に故人となっているのだが、ある日水死体が発見される。それは埋葬されたはずのレベッカなのか。不思議なことに語り手「わたし」の名は、作品中最後まで紹介されることがない。本書の主人公は紛れもなくレベッカなのである。同じ作者の『レイチェル』(務台夏子訳,創元推理文庫,2004.04)も上質のサスペンス。続けて読めば、英国伝統のゴシックロマンの世界に浸れるだろう。

10.東欧怪談集/沼野充義編, 河出文庫,1995.01 (図開架908.3:T668)
   ロシア怪談集/沼野充義編, 河出文庫,1990.05 (図開架983:R818)

 この二冊はシリーズものなので、まとめて薦めたい。『東欧怪談集』は日本ではあまりなじみのない東欧諸国の怪異譚を集めたアンソロジー。ポーランドのスワヴォーミル・ムロージェック「笑うでぶ」は目撃した人々が皆巨体で爆笑しているという不気味な話。彼らは何故笑っているのか。また、所有者が次々と不審死を遂げるマドンナ像の怪を描いた、チェコのイジー・カラーセク・ゼ・ルヴォヴィッツ「不吉なマドンナ」も印象的。
『ロシア怪談集』収録作品では、ソログープ「光と影」が良い。この作品は、幽霊も出て来なければ、ポルターガイスト現象が起こる訳でもない、「影絵」に憑りつかれた優等生の息子とその母親の寂しくも美しい物語である。しかし、作品に流れ続ける不安な空気は、読者の恐怖感を強く煽る。やはり「怪談」と呼び得るだろう。

11.鬼火 底のぬけた柄杓/吉屋信子著, 講談社文芸文庫,2003.03 (図開架913.6:Y65)

 表題作「鬼火」は圧巻。戦後の焼け跡に残る一軒の小さな家。ガスの集金人である男が訪れ、滞納を責める。「病人がいるからガスを止めないでくれ」と懇願する紫苑の花のような女に、男は劣情を覚える。彼女は帯ではなく、細紐で着物の腰を縛っていた。ガスを止めない代わりに卑劣な交換条件を出す男。ところが、女のとった行動は――。文庫でわずか9ページの短編。悲しく恐ろしい、鬼気迫る結末に茫然とさせられる。余談になるが、筆者は以前、女優白石加代子の朗読舞台『百物語』でこの「鬼火」の朗読を聴いた(観た)ことがある。恐ろしさのあまり、劇場の椅子に体が硬く張り付いてしまった。白石加代子の声の抑揚、顔の表情、ちょっとした仕草、全てが「鬼火」の世界を体現しており、素晴らしいステージだったと記憶している。

12.真夜中の檻/平井呈一著, 創元推理文庫,2000.09 (図開架 913.6:H668)

 本書にはエッセイや翻訳書の解説なども収録されており、そちらも興味深いが、ぞくぞくさせられるジャパニーズホラーの典型が表題作「真夜中の檻」。物語は歴史学を専攻する青年である「わたし」が、古文書の研究のために新潟の山中にある旧家を訪れるところから始まる。妖艶な美貌の未亡人、一族をめぐる忌わしい因縁話、「わたし」を次々と襲う怪異現象など、設定は今から見ればありふれたものかもしれないが、じっとりと湿度がありながらも冷たい感触で読み手に迫ってくる。

13.能登怪異譚/半村良著, 集英社文庫,1993.07 (図開架 913.6:H242)

 能登方言で語られる、恐ろしくも不思議な話九篇。初めて読んだのは20年近く前だが、「箪笥」という冒頭の作品に戦慄した。誰よりも身近であるはずの家族が、身近にいながらにして自分の知らない存在になっていく恐ろしさ。夜中に目を覚ました時、思わず箪笥を確認してしまったほどである。ごく短い作品であるが秀逸。作者半村良は東京出身、何故能登方言を操れるのか不思議であったが、疎開先が能登だったとのこと。優しい、親しみやすい口調が却って肌に粟を生ぜしめる。