第29回(医薬保健研究域医学系の3人の先生方のおすすめ)

今回は,医薬保健研究域医学系の佐藤先生,塚先生田嶋先生から推薦いただきました。

■佐藤保則先生(医薬保健研究域医学系准教授)

 

 「病理医」という医者がいることをご存知でしょうか。たとえば健康診断で大腸カメラの検査をしてポリープが見つかったとします。良性のポリープであれば一安心ですが,悪性であればイコール「がん」ということで状況は一変します。良性,悪性を決めるために大腸カメラの先についた鉗子を使って,ポリープの一部を数ミリの大きさでかじりとってきます。それを薄く切ったものをガラスの上に載せ,染色液で色を付けたものを顕微鏡で観察します。その結果から良性か悪性かが判定されます。この判定を行っているのが病理医です(私も病理医です)。 
 病理医は患者さんの診察はせず治療をすることもありません。顕微鏡でミクロの視点から病気を診て,それぞれが細胞レベルで思考をめぐらせています。病気とのかかわり方が独特なので,病気に対する見方や考え方も普通とは少し変わっています。病理の目線からさまざまな病気を
わかりやすく説明した,気軽に読めるおすすめの本を紹介します。これまで知らなかった病気の意外な面がきっと見えてくるはずです。

【1】こわいもの知らずの病理学講義 / 仲野徹著,晶文社, 2017.9( 中央図開架 491.6:N163)
 さまざまな病気がなぜ発生するのか,本書は細胞・分子レベルで明らかにしてくれます。関西の大学で教鞭をとる著者が普段,学生に行っている病理学講義の内容をまとめた本です。「近所のおっちゃん・おばちゃん」でもわかるように書いた本とのことで,「しょもない雑談をかましながら病気のしくみを笑いとともに解説する,極上の知的エンターテイメント」と著者自身が絶賛しています。 話は病気のしくみにとどまらず,新しい抗がん剤の開発やその使用に伴う医療費の高騰といった社会問題,さらにはこの高額な抗がん剤が某大物政治家のがんによく効いたという噂話にまで及びます。面白おかしく書かれていますが,内容はあくまで深いです。もし自分ががんになったらどうするのか。がんのしくみや最新の抗がん剤治療についてさんざん語ったあげく,著者がたどり着くがんの治療についての考え方はある意味,衝撃的です。
【2】おしゃべりながんの図鑑 病理学から見たわかりやすいがんの話 / 小倉加奈子著,CCCメディアハウス, 2019.7(中央図開架 491.65:O35)
 がんに対する表現として,病理医はよく「顔つきが悪い」という言葉を使います。がん細胞は異常に巨大化していたり,暴走して正常な臓器の中へ侵入したりと勝手なことをしています。こんな細胞の顔つきが悪いのは当然といえば当然ですが,人の場合で言うと百人いれば百通りの顔つきがあって,悪そうな顔つきをしていても実は良い人が世の中にはたくさんいます(その逆もまた然りです)。同じように細胞も顔つきだけでは良性と悪性の判定,つまりがんかどうかは確実には決められません。良性とも悪性とも白黒がつけられない,灰色がかった細胞というものも実際には存在します。 がんが悪性であることに間違いはありませんが,いざその理由を説明するとなると適切な言葉はなかなか出てきません。「おしゃべりな病理医」を自称する著者は,中高生を対象とした病理診断体験セミナーを行うなど多彩な活動をしています。そんな著者が書き下ろした本書は,がんのことを読者に話しかけるように挿絵や写真を交えてわかりやすく教えてくれます。

 

 

■塚正彦先生(医薬保健研究域医学系教授)

 

 たった一冊を挙げることとする。私の学生時分,当時1980年代は大学入学から1年から2年後半あたりまで教養と呼ばれる,現在では本学の国際基幹教育院にあたる課程があり,幅広い専門科目の先生から教えと嘆きの言葉を賜った。京都大学卒業の化学教授からの印象に残る嘆きは「大学生にもなってドストエフスキーを読んでいないとは」である。驚いたのは,理系教官に言われた事が理由かも知れない。ご本人が学生時代に言われたことを,今度はそのまま私たちに伝えている様でもあった。私が挙げた本の内容は思い込みの強い主人公が戦争の時代に翻弄される内容なのだが,物事を正当化しようとするばかりの当人以外にも,登場人物の一人一人の個性がたち,自然と各々我が身に重ねてみたものであった(名古屋外国語大学学長亀山郁夫氏がいう「憑依」)。登場人物との重ね合わせは読み返した今でも可能である。何故ならば,自分は死因究明という,これ以上無いリアリティに満ちた世界に身を置きつつ,法学類あるいは法科大学院の学生に法医学を教える立場である。人が死んだ場面にすんなりと足を踏み入れる自分がいる。だが,本の主人公である貧困に喘ぐ法学部学生は,現実果たして眼前にいるのか?少し違って見えるのは気のせいだろう。
【1】罪と罰 全3巻 / ドストエフスキー著 ; 亀山郁夫訳,光文社, 2008.10-2009.7( 中央図文庫・新書 KK983:D724:1,KK983:D724:2,KK983:D724:3) 
 
 若い皆さんにアドバイスがあるとすれば,時間が無いことを言い訳にしないことである。本を読む時間,時空を越えて他の国,他の時代を越える出会いのために時間を絞り出す事は努力次第で,いつでも可能であるから。私には,これまで読書案内をされた学内の先生方皆が偉く見える。良書に巡り会うには無駄にした時間も含めて相当な時間を要した事だろう。それでいてご専門の仕事の傍ら,その時間を捻出されている。私のような理系凡人であれば,乏しい読書経験のなかに良書が含まれているかどうかは,基本運頼みである。その点,人との出会いと似ている。自分の場合,本当に運が良かった。
 令和2年の春は閑かに始まり,そのパンデミックにかき消される形で,19名を無慈悲に殺害した後,反省や自らの再生を拒みながら死刑が確定する例をみた。そうした人物をみるにつけ,親にも友人にも恵まれず,また然るべき書物にも巡り会うことがなかったであろう,件の若者の不幸を慮らざるを得ない。  コロナ散り 人影まばらに 花曇る

 

■田嶋敦先生(医薬保健研究域医学系教授)

 

 インターネットに接続すれば必要な情報を瞬時に入手できる現代では,読書の「コスパ」は決して高いとはいえませんが,多面的に物事を捉え,多様な価値観を尊重する態度や能力,批判的な精神や思考力などを身につけるためには,読書も捨てたものではないと思います。手に取りやすい新書・文庫本を紹介しますので,読書習慣のきっかけにしてもらえると嬉しいです。

【1】ゾウの時間ネズミの時間 : サイズの生物学 / 本川達雄著,中央公論社, 1992.8(中央図文庫・新書 Ch481.3:M919)
 生物学入門書ではありますが,読者を選ばない名著だと思います。「動物のサイズと時間」という章から始まる本書では,生物のサイズに着目して生物のもつ様々な性質・特徴などが説明・考察されており,多くの人は新しい視座を得ることができると思います。
【2】虚妄のAI神話 : 「シンギュラリティ」を葬り去る / ジャン=ガブリエル・ガナシア著 ; 伊藤直子・他訳, 早川書房, 2019.7(中央図開架 007.1:G195)
 『そろそろ,人工知能の真実を話そう(早川書房、2017.5)』が改題・文庫化されたものです。人工知能(AI)やシンギュラリティ(技術的特異点),人類社会の将来などに関心がある人が,多様な視点から批判的に読書するのに向いていると思います。
【3】理科系の作文技術 / 木下是雄著,中央公論社, 1981.9(中央図文庫・新書 Ch407:K55)
 タイトルに「理科系」とありますが,人文系の人にも役立つ技術書です。初版刊行年は古いですが,論理的に思考したことの文書化を求められる皆さんにとって有益な「古典」と呼べる本だと思います。