金大生のための読書案内 第30回

仲正 昌樹先生(人間社会研究域-法学系)

 

はじめに
 私が学生になった、一九八〇年代初頭の日本の大学には、学問を志す者が必ず読んでおかねばならない「古典」とされるものが分野ごとにあった。思想系共通、文学系共通、歴史系共通、社会科学共通、場合によっては、全文系共通で、理系の学生も自分の研究対象を批判的に見ることができるようになるために読んでおいてほしいと、強く推奨されるようなものさえあった。
 最近はそういう「古典」についてほとんど聞かなくなった。学生が「古典」というものがあることを知らないだけでなく、教員も、学生に負担をかけてはいけないと遠慮しているのか、自分も読んでいないからなのか、「古典」と言わなくなった。何でもいいから、自分の興味の持てるものから読み始めたらいい、と言うやさしい先生が多くなった。「古典」と聞いても、源氏物語のような昔の文学のことだろう、くらいにしか思っていない学生も少なくないだろう。なので、はっきり言っておく。学問のための「古典」は必ずしも楽しいものではない。むしろとっつきにくい。現代っ子にとってはすぐに投げ出したくなりそうなものばかりだろう。そこで本当に投げ出してしまう人間は、そもそも学問に向いていない。リテラシーを鍛えるつもりがなければ、少なくとも文系の学問は無理だろう。大学も大学図書館はそういう人間のための場所ではない。それをはっきり知るべきである。ある程度我慢して、難しいが、重要な内容がつまっている「古典」を読み通してこそ、学問することの楽しさがわかってくる。
 そこで、今ではあまり読まれていないかつての「古典」の内、初心者でも根気よく読み続ければ、何とか理解できそうなものを十冊紹介する。
 

(1)ソクラテスの弁明 ; クリトン. 第23刷改版 / プラトン著 ; 久保勉訳(岩波文庫)
   岩波書店, 1964.8(中央図文庫・新書I131.3:P718)
 ソクラテスにとって「哲学」とはどのような営みだったか、死を前にしたソクラテスに語らせるプラトンの二つの短いテクストが収められている。「哲学」とは何か、何のために「哲学」があるのか、と思っている人が最初に読むべきテクスト。

 

(2)方法序説 / デカルト著 ; 谷川多佳子訳(岩波文庫)
   岩波書店, 1997.7(中央図文庫・新書I135.2:D445)
 〈Cogito ergo sum〉という標語で有名な近代哲学の原点。このテクストによって、「私が考えている」ことと「存在」が結び付けられたことで、近代の認識論が基礎付けられた。現代哲学は、この前提の有効性をめぐって論争を続けている。ここで示されたデカルトの基本的な考え方は、狭義の哲学だけでなく、文学や社会科学の基礎理論でも、「デカルト的~」という形で簡単に言及されることが多いので、分かっているつもりになりがちである。知ったぶりにならないために、実物を一度は読んでおくべき。

 

(3)アメリカのデモクラシー  第1巻上,下,第2巻上,下 / トクヴィル著 ; 松本礼二訳(岩波文庫)
   岩波書店, 2005.11-2008.5(中央図文庫・新書I312.53:T632:1-1,I312.53:T632:1-2,I312.53:T632:2-1,I312.53:T632:2-2)
 一九世前半、七月革命から二月革命にかけての時期を生きたフランスの法律家によるアメリカ政治論。アメリカの思想と法・政治制度の特徴が、ヨーロッパ人の視点から描き出されている。民主主義論の古典でもあり、近年の民主主義の本質をめぐる著作や論文の多くは、トクヴィルの問題提起に答えることを試みている。

 

(4)自由論 /J・S・ミル著 ; 関口正司訳(岩波文庫)
   岩波書店, 2020.3(中央図文庫・新書I133.424:M645)
 功利主義の哲学者ミルによる、自由主義の本質を描き出した、近代政治哲学の最も重要な古典。トクヴィルの問題提起を踏まえて、民主主義と自由主義の間にどのような緊張関係があり、「多数派の専制」から「自由」を守るにはどのような仕組みが必要かコンパクトに論じられている。近代自由主義の特徴である公私二分法と自己決定を基礎付けることが試みられている。

 

(5)自由からの逃走. 新版 / エーリッヒ・フロム [著] ; 日高六郎訳
   東京創元社, 1965.12(中央図開架361.5:F932)
 現代人は時として「自己決定」を重荷であると感じ、誰か信頼できる人に代わりに決めて欲しいと願う。そうした「自由からの逃走」傾向は、個人の自由を否定する思想や団体、延いては、全体主義体制を生み出すことがある。社会心理学者・精神分析家であるフロムは、「自由」が何故重荷になるのか心理学的に分析し、それがナチズムにまで発展した経緯を思想史的に再構成している。全体主義論の古典。

 

(6)プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 / マックス・ヴェーバー[著] ; 大塚久雄訳(岩波文庫)
   岩波書店, 1989.1(中央図文庫・新書I331.5:W375)
 かつて日本の大学で、「社会科学を学ぶ者」は、一度は読んでおくべきと言われた、分野横断的な古典。「プロテスタンティズム」の教えが、宗教とは無縁に思われる「資本主義」とどのように結び付いているのか、双方の本質を定義したうえで、様々な文献に基づいて論証することを試みている。問題意識をもって、社会現象を観察し、分析するとはどういうことか、ウェーバーの基本姿勢から学べることは多い。

 

(7)日本の思想 /丸山真男著(岩波新書)
    岩波書店, 1961.11(中央図文庫・新書S121:M389)
 戦後の日本で最も影響があった政治哲学者で、言葉の本来の意味で、代表的な「知識人」と言われた丸山眞男が、「日本の思想」の特徴を凝縮した形で論じた著作。明治時代の文献からの引用や、丸山自身のものも含めて他の理論家の重要概念が多く、決して読みやすくないが、漠然と“日本の思想の特徴”とされているものがどのように繋がっているか体系的に示されている。思想史研究の魅力を教えてくれる名著である。

 

(8)人間不平等起原論 /ジャン・ジャック・ルソー著 ; 本田喜代治譯(岩波文庫)
    岩波書店, 1933.10(中央図文庫・新書I135.48:R864)
 人間はみな平等であるはずなのに、どうして現実社会には様々な不平等があり、差別があるのか、という近代社会にとっての根源的な問いに本格的に取り組んだ著作。「自然状態」における人間の在り方を考察することから出発し、「自己意識」に基づく「所有」概念に社会的不平等の起源を求めていく。マルクス主義、アナーキズム、近年の格差社会論やワーキングプア論の源泉にもなった問題作。ルソーの仕事は、教育、文学、政治、法、音楽、植物学など多方面に及び、西欧近代の様々な制度や思想に深く影響を及ぼし続けているが、本書が最もインパクトが強く、ルソー的な問題圏への導入として最適であろう。

 

(9)一九八四年. 新訳版 / ジョージ・オーウェル著 ; 高橋和久訳(ハヤカワepi文庫)
    早川書房, 2009.7(中央図開架933:O79)
 近年、全体主義や独裁者待望論をめぐる文脈で再び注目されつつある、一九四九年に書かれたディストピア小説。“Big Brother is watching you.”という印象的なフレーズに象徴される、監視社会の在り方をリアルに描き出している。監視者・装置の不可視化やNewspeakなど、現代の人間管理術として部分的に実現されているものも少なくない。フロムの『自由からの逃走』と合わせて読むと、全体主義とは何か考えるきっかけになる。

 

(10)ゴリオ爺さん / バルザック [著] ; 平岡篤頼訳(新潮文庫)
    新潮社 2005.1 33刷改版(中央図開架953:B198)
 ナポレオン戦争後、王政復古期のフランスにおいて、身分制が徐々に崩壊し、貴族に代わってブルジョワたちが社会の中心になり始めた時代の人間模様を描いた小説。貨幣経済が人々の行動様式や価値観、人生設計、人間関係にどのように影響を与えたか、法学を学んで弁護士になり、身を立てようとしている田舎貴族の息子の視点を通して描き出している。近代を作った「ブルジョワ(市民)」とはどういう人たちか、掘り下げて描いた作品。