21 世紀の教養のために―データとモデル・予測不可能性・歴史―(金大生のための読書案内 第31回)

 

川西 琢也先生(理工研究域フロンティア工学系)

 

 

 ここで教養とは、人間社会において議論の基礎となるべき知識、といった感じでとらえてください。

 

 このリストの 1. から 4. までは、大雑把に言えば、社会、自然の非線形性、あるいは将来の予測不可能性に関するものです。19 世紀のラプラス的決定論から、20世紀前半の量子力学やブラウン運動などの(正規分布に従う)確率的モデルを経て、20 世紀後半には、様々な非線形系の研究がすすみ、また、フラクタルなどの道具で、正規分布よりも遥かに大きな変動をモデルを使って考えることができるようになりました。また、カオスなど、挙動の予測が極めて困難なものがあるということも知られてきました。

 

 現代の人間の直面する大きな問題は、温暖化にせよ、経済にせよ、政治にせよ、地球や人間社会のような複雑なシステムをどのように扱って行くか、というものです。しばしば議論が平行線となるのは、(政治的立場を別として)おそらく、これら非線形かつランダムな要素に左右されるシステムの挙動を予測することが本質的に不可能あるいは極めて困難だからと考えられます。しかし、だからといって、何もしないで良いわけではありません。あらゆる知恵を使って、最善と考えられる方策をとっていくのが望ましい。ただし、何もしない(壊れていないものを修理しない)のが最良の方策である場合もあるでしょう。また、科学が純粋に自然科学的な問題に対してすら必ずしも答えをもっていないことも理解しておかなければなりません。

 

 この意味で、筆者は、科学リテラシーのベースラインを、基礎的な非線形科学の知見、フラクタル的変動に関する知見を含むものへ底上げする必要があるのでは、と考えます。ここに挙げた本は、その意図に沿ったものとなっています。

 

 リストの 5, 6. はデータから学ぶ、ということに関するものです。何かの議論において、実際のデータに基づくことの重要さは論を待たないでしょう。しかし、どのようなデータを使ってどのような解析を行い、それに基づいてどのような議論をするかは、当然、問題意識、知識と洞察力、統計学やデータ・サイエンスの知識などに左右されます。 5. は食糧問題に関するものですが、全体を俯瞰するデータの重要性を読み取って欲しい。6. は統計学とデータ・サイエンスの進歩を俯瞰する大学院レベルの本です。すぐにこれを読め、というのではなく、将来、データ解析を学ぶ上での参考にしてほしいと思いリストに入れています。

 

 リストの7. から10. は広く言えば歴史に関するものです(1. もそうです)。歴史に学ばない人に教養などありません。問題の解決に老人の知恵が有効である、というのは今でもよくあることです(もちろん、すべての老人に知恵があると言っているわけではありません)。予測不可能性について知れば、それだけ歴史に学ぶ重要性もわかってくるというものです。

 

 広く言えば歴史、と書きましたが、通史を含んでいませんし、書店の歴史のコーナーにはなさそうな本も入っています。歴史は教科書で学ぶよりは、「なぜ」をを考えて学ぶほうが面白いし頭に入る。7. から 9. に対するの私の「なぜ」は、単純にいうと、全体主義下の残虐行為はなぜ止められなかったのか、なぜ多くの国で社会主義体制が続いているのか、なぜ大日本帝国はアメリカに惨敗したのか、といったことです。10. については、聖書の物語の背景にどのような歴史的事実があるのか、という興味です。考古学の発見などと比べると面白い。リストの本を読むとお気づきになると思いますが、それぞれの本は、これらの問いに直接答えるものではありません。自然や人間に対する「なぜ」はそもそもそんなに簡単に答えられるものではないでしょう。そのために学問があり、それを伝えるのが大学の使命でしょう。

 

 以上、必ずしも大学生のレベルに合わせることをせずに選びました。読むために、それなりの知識(教養!)を要する本も多く含まれます。筆者も若い頃は自分のレベル以上の本を苦労して読んだ(気になった)ものです。そのようにして身についていくものもあるのです。また、直接なにかの役にたつ、というより、みなさんが何かを考えるヒント、あるいは議論のベースとなり得るものを選んだつもりです。このような本のいくつかと皆さんとの出会いの機会となれば幸いです。

 

1.ユヴァル・ハラリもいいけどこれも読もう。▼推薦文を読む
人類と気候の 10 万年史』/ 中川毅,  講談社, 2017.2, (中央図開架451.8:N163)  

 文系、理系を問わず金大生全員が読むべき本である。教員は今すぐこの本を買うべし。読者が気候変動についてどのような意見を持っていたとしても、読了後には全く違った視点を手に入れていることと思う。
 著者は古気候学の専門家で、本書は著者が主導した湖底堆積物による地質年代の標準を作る話と、それを用いた過去の気候変動の解析の話が中心だが、それにとどまらず、なぜそのような変動が起こるのか、なぜ将来の予測が難しいのかの説明も加えて、激変する気候とともに人類が生きてきたことを描き出すものである。第33回講談社科学出版賞を受賞しているが、なるほど、高度な内容にもかかわらず、圧倒的に読みやすく、面白い。
 本書は地球温暖化を考える上でも最上の参考書と思う。この本を読んだあとは巷間の温暖化に関する議論や解説が平板に見える。特に、温暖化問題を、環境無視の拝金派と良識派との対立という単純な構図で見ている人は、すぐにでもこの本を読んだほうがよい。異常気象、海面上昇などの問題は、温暖化ガス排出を抑制すれば解決する、というようなものでは無いのだ。 

 

2.我々は「知らない」ことを過小評価しがちである。▼推薦文を読む
ブラック・スワン : 不確実性とリスクの本質 上・下』 / ナシーム・ニコラス・タレブ著 ; 望月衛訳, ダイヤモンド社, 2009.6, (中央図開架304:T143)  
The black swan : the impact of the highly improbable. 2019 box set ed』 / Nassim Nicholas Taleb, Random House,2019, (自然図2F一般図書304:T143:2)

 オーストラリアで発見されるまでは、black swan (コクチョウ)は存在し得ないもの、すなわち探しても無駄なものの代名詞だった。著者 Taleb がいう black swan は、もし起こったら致命的な結果をもたらすような、想定外の(つまり、我々の知らない)現象のことである。本書の初版はリーマンショックの少し前に出版され、一部では、それを予言した、と有名になった。
 著者の Taleb が言っているように、その主張はしばしば誤解されてきた。そのような本を要約して紹介するのは難しいので、とにかく本書を読んで(あるいは YouTube 等で Taleb の講演を視聴して)ほしいが、いくつかポイントをあげるとしたら、人間は自分たちが「知らない」ことを過小評価しがちである、予測が不可能(困難)で致命的な現象がある、稀にしか起こらない現象を、頻繁に起こる現象に適した(例えば正規分布に基づいた)モデルで解析・予測すると大いに(ときに致命的に)間違う、といったところだろうか。最後の点であるが、稀で致命的な現象を平均(と正規分布)で考えることの危険に関してTaleb はよくつぎのような例えを述べる。10 cm の高さから 100 回飛び降りることと 10 m の高さから 1 回飛び降りること(数字は筆者が適当に選んだもの)では、平均値は同じだが、前者は無害なのに対して、後者はかなりの確率で死ぬ。
 本書はハウツー本ではないが、そのまま人生に役立つ本である。人間はブラック・スワンのリスクを過小評価しがちだ、という指摘は、阪神大震災や東日本大震災を経験した日本人ならば、もっと真剣に受け止めるべきではないか。皆さんは、どこに住みますか、どのように災害に備えますか、ということでもある。筆者自身について言えば、大雨の場合はいつでも家族が自宅を離れられる(自宅近くの丘は土砂崩れのレッドゾーンである)ように考えている。日本国について考えれば、大地震の頻度の高い(統計的に明らかにそうなっている)東京への一極集中は懸念すべきことではないかと考えている。
 また、本書は、成功するためには、小さい失敗を繰り返すほうが良いと薦めている。稀に起こるプラスの現象(画期的発明など)も予測がつかないので、数多く試すしかない、というわけだ。さらに、日本の文化は、ランダムさにうまく適応できていず、業績が悪いことが単なる運の悪さの結果にすぎない場合があることを理解しない、よって失敗した人の評判は大いに傷つけられる。ボラティリティが嫌われるので、ボラティリティは小さくなるが同時に破滅に晒される危険のある戦略をとりがちだ、とも述べている。耳の痛い指摘である。
 本書は一般向けである。裾の広い分布に関するデータ解析については、同著者による『Statistical consequences of fat tails』が参考になる。こっちは、大学の通常のカリキュラムをこなすだけでは読めるようになるとは思えないので、興味のある人には確率論と統計学の独習をすすめる。自然科学系図書館に所蔵があるが、この本を入れてくれた人がいることは頼もしい。

 

3.あのマンデルブロは、こういう研究をしてきた人だった。▼推薦文を読む
禁断の市場 : フラクタルでみるリスクとリターン』 / ベノワ・B.マンデルブロ, リチャード・L.ハドソン [著] ; 雨宮絵理 [ほか] 訳, 東洋経済新報社, 2008.6, (中央図開架338.01:M271)  

 Mandelbrot はフラクタル幾何学で有名だが、彼の仕事の多くは、経済学・市場の挙動に関するものである。例えば、1968 年に発表された、van Ness との共著による非整数階ブラウン運動(Fractional Brownian motion)は、時間変動のモデルとして物理学でも用いられているが、もともとは綿花価格の変動の研究で発想されたものだ。邦訳書のタイトルはちょっとキワモノ的で残念だが、内容は Mandelbrot の自伝的なものである。共著者の Hudson はジャーナリストで、そのためだろうが、読みやすい本になっている。
 Mandelbrot は、実際の市場の変化は、金融工学で使われているモデルよりもはるかに激しいものだとして、リスク過小評価の危険性をずっと主張してきた。本書の原著はリーマンショックの数年前に出版されているが、残念ながら、悪い方向でその懸念は実証されてしまった。筆者個人が見聞きした限りだが、リーマンショック時に各社で用いられていた金融モデルは、諸変数の変動に、さすがに正規分布よりは激しい変動を仮定していた。しかし変数間の関係(copula)に正規分布を用いていたため、複数の指標が同時に極端な値をとる確率を過小評価した、というのが一応の説明となっているようだ。ただし、Mandelbrot が提唱したほどの大きな変動を仮定していなかったようだし、また、もう少し現実に近い copula を用いたとしても、ブラック・スワンは残るわけである。その点で、モデルだけに頼るのではなく、想定外の出来事にもある程度対応できるような知恵が必要なのだろう(Glass-Steagall 法なんかがそれだったとも思うのだが)。これは、2. で紹介した Taleb が言っていることそのものだ。
 フラクタル幾何学は、理工学の中で受け入れられ、いろいろな応用に用いられてるが、実は、Mandelbrot がもっとも力をいれた経済や金融の分野では、博士の主張は十分に受け入れられたわけではなく、最後まで異端として戦う立場だったようだ。共著者の Hudson は Mandelbrot博士の第一印象を、ぼさぼさの頭で議論好き、「SF映画のマッド・サイエンティスト」そのものだったと記しているが、本書は、そんな孤高の学者が新たな理論をいかに発案し発展させてきたか、という物語でもあり、その考え方をドラマ的に学ぶことができるものである。その意味で若い人に是非おすすめしたい。博士は 2010 年に亡くなられているが、YouTube 上の講演やインタビューを通じてその人柄の一端にふれることができる。

 

4.自然科学は19世紀の決定論的世界観からここまで来た。▼推薦文を読む
非線形科学』 / 蔵本由紀著, 集英社, 2007.9, (中央図開架421.5:K96)  

 非線形とは、文字通り線形ではないことである。線形のシステムは基本的にすべて同じように取り扱うことができる。それに対して非線形システムはそれぞれの性質に応じた個別の取扱が必要である。トルストイの幸福な家庭、不幸な家庭のようなものである。線形以外は定義上すべて非線形なので、その対象は多岐にわたる、本書でも、それぞれに章をたてて説明しているが、カオスや複雑系、リズムと同期、パターン形成、といった分野が非線形科学に含まれる。
 コンピューター誕生以前には、非線形システムの解析はきわめて難しかったが、今日では自然科学、工学は日常的に非線形現象を扱っている。では、あえて「非線形科学」と言ったとき、何を意味しているのか。著者は「生きた自然に格別な関心を寄せる数理的科学」という定義を提案している。筆者が考えるに、この「数理的科学」のところが重要である。工学では個々のシステムを取り扱えればよしとするが、非線形科学では、様々なシステムの挙動を数理的に抽象化して整理しようとしているようにみえる。
 この本は数式をほとんど使っていない。なので、読者はこの本で説明されていることを理解しようと思わず(数式なしで非線形系を理解するのは実は結構むずかしい)に、このような現象が解析されているんだ、程度で読み進むことをおすすめしたい。何か興味をもったものがあれば、それについて、YouTubeなどで動画を見ていただきたい。優れた動画が数多く投稿されているし、非線形系は動画で見たほうがわかりやすい。さらに興味をもったら、図書館で、そのトピックスに関する基礎的な教科書を探せば良い。
 自然や人間社会のシステムの挙動は複雑で、そのようなシステムを解析するために様々な努力が積み重ねられ、その成果の一端が非線形科学に結実している。しかし、なおかつ、現在の人間には十分に解析できないことも多いことを知ってほしい。

 

5.食糧危機は起こりそうにない。▼推薦文を読む
世界の食料生産とバイオマスエネルギー : 2050年の展望』 / 川島博之著, 東京大学出版会, 2008.5, (中央図開架611.3:K22)  

 人口増と農地の荒廃、その結果としての食糧不足を心配する人がいる。メディアは今はコロナで忙しいので食糧問題はほとんど出てこないが、定期的にこのような問題がとりあげられ、心ある市民はその心をいためる。このリストを最初からここまで読んでくれているような人は、おそらくハンス・ロスリングの『ファクトフルネス』について聞いたことぐらいはあるだろう。すでに読んでおられるかもしれない。我々は、ロスリングの言う「ネガティブ本能」などによってバイアスを持ちがちだし、それに乗じてメディアも危機をあおる傾向にある。
 何かの問題を考える場合、データに基づいた議論が重要であることは論を待たない。でも、どのようなデータに基づくべきなのだろうか。毎年、ある程度の農地が放棄されたり荒廃したりして失われているのは確かである。しかし、(この本に触発されて)筆者自身も公的機関のデータにあたってみたが、世界全体では、農地は少しずつ増えているし、食糧生産量も順調に増えている。一人当たりの耕地面積は減少しているが、これは面積あたりの収量が増えている結果であり、特に懸念すべき事ではない。局所の現象で全体を語ったり、現象の一面だけをとりあげて考えると、当然のことながら大きく間違いかねない。
 本書は、世界食糧機構(FAO)の等のデータを活用することで、現在の世界での農業生産を様々な角度から検討する。その内容は、世界でどれだけの耕作地・休耕地があるのか、畜産・水産の生産量の推移、中国・インドでの食肉消費量の変化、バイオマスエネルギー、肥料の効果、経済発展と農業人口の現象、貿易と自給率、と多岐にわたる。その上で、将来の展望として、リンや水などの資源は不足しないだろうこと、結果として、世界の農業は人口増加にみあうだけの増産余力が十分にあること、従って、例えばレスター・R・ブラウンが『だれが中国を養うのか』で懸念したような事態は起こらないだろう、と結論している。また、エネルギーバイオマスの耕作には著者は否定的である。
 ただ、食糧の問題は多岐にわたる、局所的に凶作が続くことや、食糧価格の高騰で貧しい人が食糧を手に入れにくくなる、という問題もある。著者の主張はこのような現象が起こらない、ということではなく、世界の農業は今後予想される需要増にみあうだけの食糧増産余力が十分にある、という点なのである。
 本書は、食糧問題について議論するには必読である。ただ、そこまでは必要ない、という人には、もっと手軽に読める本として、同じ著書による『「食糧危機」をあおってはいけない』もある。

 

6.統計学とデータサイエンスを歴史的に俯瞰する▼推薦文を読む
大規模計算時代の統計推論 : 原理と発展』 / Bradley Efron, Trevor Hastie著 ; 井尻善久 [ほか] 訳, 共立出版, 2020.7, (自然図2F一般図書417:E27)
Computer age statistical inference : algorithms, evidence, and data science』 / Bradley Efron‎‎, Trevor Hastie, Cambridge University Press, 2016, (自然図2F一般図書417:E27)

 著者のひとり Efron はブートストラップ法を発案した著名な統計学者である。ブートストラップ法は手法として驚くほど単純で、1979 年に発表されてからしばらくは、「え、これでうまくいくの?」といった半信半疑の扱いをうけていた。しかし、その後理論も洗練され、日常的に使われる方法になった。ブートストラップ法に代表されるように、20 世紀後半は、コンピューターの力が統計学に取り込まれいく時代であった。本書は、古典的(20世紀前半までの)統計手法、20 世紀後半の「初期の」コンピューター時代の統計手法、そして、21 世紀の統計手法に関するトピック、と三部に分かれていて、著者らが重要だと考える方法について概説をしたものである。
 実は、統計学をかなり勉強しないと、この本は読めない。大学院レベルである。しかも、十七章あるトピックスのそれぞれが一冊の教科書に値するので、決してこれを教科書的に使うことは薦められないし、著者だってそのような読み方など想定していまい。正直に告白すると、筆者も第三部については十分に理解した自信がない。
 では、なぜこの本をおすすめに入れるのか。ふたつ理由がある。ひとつは、このような形で統計学からデータサイエンスまでをも大局的に概観する本は他にないからである。筆者自身について言えば、ブートストラップなどの20 世紀後半の手法を古典的手法との比較で考える役にたったし、(俯瞰できるほどには知識は整理できなかったけれど)データサイエンス的手法のどこを学ぶべきかの参考になった。  もうひとつは、将来、学生諸君がデータサイエンスなり統計を学ぶときに、ベンチマークとなり得る、ということである。いわゆるデータサイエンティスト、はプログラミングと数学・統計ツールがある程度使えれば、統計学の知識がなくともそこそこ仕事ができるかもしれない。しかし、データから有用な知見を得るには、統計学の知識が必要である。
 今から二十年ほど前に、大型書店の「統計学」の棚の幅がぐっと広がった。多くの社会人が必要を感じて統計学の勉強を始めたからである。つまり、大学でやらなくても、社会人になったらどうせ勉強することになりますよ、ということである。大学で学ぶ統計学は、ごく初級のレベルにとどまる。それゆえ、文系理系問わず独学する必要がありますよ、ということなのだ。
 ただし、独学で皆がこの本のレベルまで達せよと言っているのではない、この本は統計学を専門とする人、あるいは専門分野でデータ解析をゴリゴリに使う人のための本である。簡単なレベルの統計本が巷にあふれている現在だからこそ、統計学ってそんなもんじゃないんだ、ということを提示するのも教員の務めだと思い、紹介するのである。将来、このような本を手にとって、より高いレベルのデータ解析にチャレンジしてくれる人がいれば嬉しい。

 

7.独裁体制・全体主義を考える上でも必読▼推薦文を読む
エルサレムのアイヒマン : 悪の陳腐さについての報告. 新版』 / ハンナ・アーレント [著] ; 大久保和郎訳, みすず書房, 2017.8, (中央図開架316.88:A681)
イェルサレムのアイヒマン : 悪の陳腐さについての報告』 / ハンナ・アーレント著 ; 大久保和郎訳, みすず書房, 1969.9, (中央図書庫316.88:A681)  
Eichmann in Jerusalem : a report on the banality of evil』/ Hannah Arendt,  Viking Press, 1963, (中央図書庫 : 329.67:A681)

 ナチによるユダヤ人虐殺については、読むたびに胃のあたりが気持ち悪くなるが、辛さの一部は、自分が当事者だったらどう行動するか、という問題を突きつけられることにあるかもしれない。自分が被害者の立場だったらと考えた場合の恐怖(子供のころはこれは耐え難かった)もさることながら、自分が加害者だったらと考えた場合の想像も気が滅入る。そのような悪には加担しない、と自身をもっていえる人がどれだけいるだろうか。むしろそんなことを明言できる人のほうが信頼できないのではないか。
 この本は、ナチ戦犯のアドルフ・アイヒマンの裁判の傍聴を軸として、いかにしてこの平凡でつまらないが虚栄心だけはあったらしい男がユダヤ人虐殺の輸送責任者として仕事に励むようになったか、ということを考察したものである。そこには出世欲はあっても、ユダヤ人を世界から抹殺する、という「高尚」な目的や使命感はまったくなかった。その意味で、悪はあまりにもありふれている、陳腐なのである。我々は、大悪事をなした者には、とてつもない、気違いじみた信念があったのだろうと思いがちであるが、ほとんどの場合はそうではない、というのがアーレントの考察である。
 これは、全体主義の下で人間がどのように行動するか、ということに関する報告でもある。本書の中でエピソードとして淡々として語られることの多くがすさまじい。例えば、収容所の看守採用の面接に来た女性が、もしこの仕事を断ったらどうなりますか、と聞いたときに、面接官は「その場合はあなたが収容所送りになります」と答えたとか。アーレントは、人は、自分や自分の家族の身に危険がおよぶような状況になれば、いくらでも残虐行為を行う言い訳を見つけるものだと述べている。
 アーレントの主題はナチへの攻撃ではなく、人間のこのような性(さが)というか業(ごう)というか、そういったものを明らかにすることにある。そのため、当時のユダヤ協議会の長老たちが、収容所へ送るものの選別に協力する形で自分たちの保身を図ったことを糾弾する。また、ナチスが露骨にユダヤ人を迫害しはじめたあとも、周辺国は無関心であり、ドイツ国外に逃れたユダヤ人が、行き場がなくまたドイツにもどった事例があったことも記述している。ユダヤ人迫害に関しては、ヨーロッパ全体がいわば共犯関係にあったわけである。
 独裁、全体主義をどう避けるか、今日でも大きな課題だろう。民主主義は効率は悪いが、チャーチルが言うように、他の体制よりはましなのである。(この項は手元に本を用意できずに書いているので、内容に間違いがあるかもしれない、この点はご容赦ねがいたい。)

 

8.エマニュエル・トッドのライフワーク▼推薦文を読む
家族システムの起源 上・下』 / エマニュエル・トッド [著] ; 片桐友紀子 [ほか] 訳, 藤原書店, 2016.7, (中央図書庫362:T633:1)  

 『家族システムの起源』は、トッドの著作の中で最初に読むと面白く無いかもしれない。でも、あえてこの本を薦めるのは、トッドの考えのベースになっている彼独自の研究成果を知ってもらいたいことがひとつ。もうひとつは、トッドの著作をいくつか読んだあとに、いつかは、そのライフワークの集大成である本書を読んでもらいたい、と考えるからである。
 さて、トッドは 1976 年の『最後の転落』で、ロシアの出生率が 1960 年の 23‰から 1970年には 14.5‰ にまで減少していることなどから、ソ連の崩壊を「予言」したとして有名になった。まあ、予言したというより、ソ連に対して西側がどう対処すべきかを論じたのである。1970年代は東側諸国からの情報は限られていたが、トッドは、人口統計(およびその欠落)などの限られたデータからソ連で何が起こっているのか読み取っていく。このように『最後の転落』はデータの解析の仕方について(ベースになる知識が重要であることも含め)多くの示唆を与えてくれる。邦訳も 2013に出ているので興味ある人はぜひ。
 『新ヨーロッパ大全』までの何冊かで、トッドは、政治体制とその地域の家族システム(核家族、直系家族、共同体家族)との間に相関があることを示した。例えば、共産主義は共同体家族地域に見られ、ドイツ、日本のような統制的な体制は直系家族地域に、自由主義は核家族地域にみられる、といった具合である。この結果は衝撃的である。筆者が思うに、これは例えば、国が豊かになれば政治は民主制に移行するのか、ソ連崩壊の十数年後になぜプーチンのような体制ができるのか、大日本帝国憲法がドイツ帝国のそれを最も参考にしたのはなぜか、帝国末期の政治がなぜあのように抑圧的になったのか、といったことにヒントを与えてくれる。それにしても、自分たちの政治体制が、あまり政治的とは意識されていない家族構造によって似てくるとは、人間社会について考えさせられるものがある。
トッドはその後、現在の家族システムの分布が、文化の(同心円的)伝播の結果で、周縁に古いものが残っている、ということを(言語学者の示唆により)見出した。それら諸々の成果をまとめたのが『家族システムの起源』である。まだ II 巻以降は(少なくとも日本語では)出版されていない。因みに、文化の同心円的伝播は柳田國男の方言周圏論に見られる。引用されてないことから、トッドもさすがに柳田は知らなかったかと思われる。ところで、大阪の朝日放送「探偵ナイトスクープ」が視聴者の依頼で(最初は柳田の周圏論を知らずに)アホ、バカという言葉の分布を取材したことがあるが、これがスタッフにも面白かったようで、一連の調査結果が一冊の本(『全国アホ・バカ分布考』)にまとめられている。トッドの家族システムの分布と、方言周圏論、アホ・バカ分布考の3つをセットで覚えることを薦める。松本の本は現在の分布が出来上がった過程が想像できる点で貴重な参考書である。決してお笑い(だけ)の本ではない。
 トッドは現代社会に対しても積極的に発言しており、その方面での著書も多い。近年では、何か時事的イベントがあれば、日本からインタビュアーが行って、聞き書きを新書で出版する、というのがおきまりになっている。TV などのメディアでは語られないような知識、考察が定評で需要が多いわけである。また、時事問題についてトッドの話を聞きたい、と思う日本人が多いということである。まずはこのような本の中で興味あるものを読んで、トッドの考え方に触れてほしい。

 

9.日本と日本人について考えるときに必読▼推薦文を読む
「空気」の研究』 / 山本七平著, 文芸春秋, 1977.4, (中央図書庫304:Y19)  

 本書は日本人を論ずる上で必読の書である。この本以後の日本人論のほとんどが本書を引用しているのではないかと思えるくらい有名な本である。山本七平の日本人論の特色は(イザヤ・ベンダサン名での『日本人とユダヤ人』以来ずっと)、ユダヤ・キリスト教文化との比較と、それをベースとした彼の独特の視点であろう。ここでいう「空気」は、「空気を読まない」で言われるものと同じものと考えて良いと思うが、特に、それが合理的判断を越えて絶対的規範になってしまうような場合を問題視している。例えば、戦艦大和の出撃は合理性がなく、無駄に艦船を失い戦死者を増やすだけだ、というのが明らかだったが、戦後、元軍令部次長が『全般の空気からして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』と語ったらしい。つまり、軍令部は日本国内の「空気」に逆らえず、軍事合理性に基づく決定が出来なかったのである。
 本書では、この「空気」が、感情移入をもとにした現象の「臨在感的把握」という日本人独特の特性に根ざすものだと考察する。ただ、なぜそれが絶対化するのかは著者にも不明のようである。また、この空気に「水をさす」ことで、日本人はこれを相対化させようとするが、この「水をさす」もえてして、別の空気の醸成につながるにすぎない、と言う。さらに、キリスト教ファンダメンタリストの聖書絶対主義と科学との共存の矛盾と、戦前の日本で、初等教育で進化論が常識であったことと、天皇を「現人神」と扱うことが共存する矛盾とを対比し、彼我の考え方の違いを鮮明にしている。なお、後者については、山本が捕虜時代に米兵に指摘されたとき、この矛盾に対する自らの無自覚さに驚いたという。このような他文化との比較は、今日でも重要な課題であろう。
 さて、本書の刊行から四十年余りたった今日、山本が本書で「空気」の例として示した「公害を防ぐために車をなくして工場を止めてしまえ」といった極論が主流になることはなかったし、原子力に関しても、感情論は下火であるように見える(事故で実際の被害がでてしまったので、賛成にしても反対にしても極論になりにくいのだろう)。「空気」はあっても、日本国民は結構まともな判断をしてきたように思う。コロナに対しても、いわゆる自粛警察にはすぐに批判がでるし、テレビがコロナの危険をあおっても、ネットでは異なった意見が多く出てくる。また、「空気」の醸成にこれまでにマスコミが大きな影響を与えていた、ことも明らかになったと言えるかもしれない。
 今日、我々にある程度の「空気」批判ができているとすれば、山本はじめ多くの先人のおかげであろう。山本は本書の最後に、この「空気」を本当に把握することが、その呪縛を脱する道である。と述べている。果たして我々は、いま「空気」をどこまで把握しているのだろうか。「臨在感的把握」は日本人の特性でありこれを捨てることは難しかろうし、またその必要もなかろう。問題は、「空気」が、例えば先の大戦のような「非常事態」においてどのように作用するか、非常事態で「空気」の絶対的規範化は防げるのか、という点であろう。これはまだまだ我々の課題である。

 

10.物語としても面白いし、いろいろな読みかたができる▼推薦文を読む
聖書 旧約聖書続編付き 引照・注付き』 / 聖書協会共同訳, 日本聖書協会, 2018, (中央図開架193:S462)  

 筆者はキリスト教徒ではないが、キリスト教徒でなくても聖書を読む理由はいくつもある。なんせ世界随一のベストセラーであるし、物語として面白い。今日では、ノアの方舟のモチーフが、ほぼ同じ形でメソポタミアのギルガメシュ叙事詩に見られる、ということは周知である。「大洪水」がメソポタミアでも、ユダヤ人にとっても、子孫に語り継がれるべき大事件であったことを示しているのだろうか。本リストの 1. の中川の書にもあるように、この2万年で海表面は 100 m 以上、上昇したとされる。洪水伝説は様々なところに見られるし、実際に大洪水は、いたるところで起こり得ただろう。プラトンが語ったアトランティスなど、繁栄した島が海に沈んだことがあっても不思議はない。また、ヤコブの息子ヨセフは 7 年豊作が続いたあと 7 年凶作が続くことを予言して、果たしてそのとおりになった。筆者もかっては、これは、子孫に注意を促すためのちょっと大げさな伝説だろう、と思っていたが、中川を読んだあとは、7年連続の凶作は十分にあり得ただろうと考えている。
 また、モーセの「出エジプト」は考古学的証拠というのが全く発見されていないようである。証拠がないからこれは起こらなかったと考えるのは明らかに誤りだが、何か見つかるまでは、これが単なる神話であったかもしれない、と想像することは許されよう。
 9. の山本の著書で知ったが、アダムとイブの物語は、第 1 節では、アダムとイブが同時に作られたように、第 2 節ではアダムの骨からイブが作られたと記されている。この矛盾の考察については 9. を読んでいただきたい。さらには山本が述べるようなファンダメンタリストの中での聖書絶対主義的と科学との両立は、確かに日本人には理解し難い。
 もちろん、というのも変だが、筆者は分厚い聖書の全てを読んだわけではないし、通読するつもりもない。しかし、何かで聖書の引用をみた時、聖書の該当個所を読むと、それなりの発見があったりする。ということで、読んでみると面白いよ、とささやいてみるのである。

 

 

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