何かに没頭したいときにおすすめの本(金大生のための読書案内 第32回)

 

佐々木陽平先生(医薬保健研究域薬学系)

 

 私は学生時代,歴史小説にはまった時期があり,まさに寝食を忘れて読み漁っていました。睡眠不足になりながらも風呂に浸かっている時にも止められず,そのまま眠りそうになって小説を浴槽に落としてしまったこともあります。しかし研究者になった現在,なかなかまとまった時間を確保することが難しくなり,せいぜい雑誌の数ページの読み切り,という寂しい読書生活を過ごしています。しかし読み進める度に押さえているページの厚さが変わっていくアナログの快感が忘れられません。今もいずれ時間ができたら読みたいと思う小説を積読しています。

 

 今回の記事を執筆する機会が私に回ってきたのはそんな折です。そこで私は「何かに没頭している人」を題材にした書籍を中心に紹介したいと思います。何かに没頭した結果が世に報われたか否かはそれぞれですが,その本人には人生の中で充実した期間であることは間違いありません。皆さん,何かに没頭する時間がある時に,その対象を見つけることも大切です。現在,ウイルス禍で私達の行動の制限が余儀なくされています。二度と無いかもしれない(ことを願って)この機会を活用してみませんか。

 

1.『天平の甍』 / 井上靖著, 新潮社, 1964.3
  (中央図鈴木文庫913.6:I58)  
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 日本に現存する最古の薬物は,東大寺の正倉院に納められていた宝物から見つかったものです。「正倉院薬物」として知られるこの薬物は,聖武天皇の時代,遣唐使により大陸からもたらされたものです。「天平の甍」は鑑真和上が幾度の失敗を乗り越えて来日する過程を描いた物語です。医薬学の知識を備えていた鑑真和上が日本に向けて多くの薬物を準備したことは容易に想像できます。鑑真和上の渡航は5回もの失敗を経てと言われていますが,その度にせっかく集めた薬物も失い,再び集め直したのでしょう。鑑真和尚55歳の時に渡日を決意し,来日が叶ったのは65歳,失明までしての正に人生をかけた渡航でした。ちなみに業行という登場人物の描かれた生き方も深く考えさせられます。

 

2.『正倉院薬物の世界 : 日本の薬の源流を探る』 / 鳥越泰義著, 平凡社, 2005.10
  (中央図開架499.8:T683)  
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 上述の正倉院薬物を解説したものです。聖武天皇が崩御され,妻の光明皇太后が東大寺盧遮那仏に宝物(薬物も含む)を献納します。その薬物リストである「種々薬帳」の謎を解く形で話は展開します。なぜこのリストの下地には貴重なはずの「天皇御璽印」が,しかも全面隙間なく押されているのか? なぜリストの署名筆頭者は藤原仲麻呂なのか? 単なる薬物の解説書ではなく当時の政治闘争や疫病,天災などの時代背景を踏まえて考察した物語です。薬物が必ずしも病気の治療目的で使用されたのではなく,時には「毒物」としても時代を動かしてきました。薬学の専門家による時空を超えた歴史ドラマです。

 

3.『大谷光瑞の生涯』 / 津本陽, 角川書店, 1999.3
  (中央図開架913.6:T882)  
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 河西回廊,ロプノール,楼蘭などが広がるタクラマカン砂漠周辺は,19世紀,世界地図の空白地帯であり,多くの探検隊が踏破を目指した場所です。ロシアのブルジェワリスキー,スウェーデンのヘディン,イギリスからスタインなどが先を争うとき,日本からは大谷探検隊が後を追いかけました。「キャラバンは苦痛に耐えて行進を続ける…ようやく標高6千メートル前後の峰に登りつめたとき,馬,ラバ,牛は6割までが死に絶えていた…携帯の食糧にもかぎりがある,いつ凍死か餓死の悲運に陥るかも知れない」。このような思いで彼らは敦煌莫高窟に到着し,いわゆる敦煌文献を入手することに成功しました。これらの文献はその後,多くの研究に利用され功績は非常に大きいものです。世界最古といわれる薬物図鑑の「神農本草経集注」も敦煌文書の一つです。この「大谷光瑞の生涯」は旅行記を中心に描かれていますので「神農本草経集注」自体は登場しません。しかし私は教育や研究で「神農本草経集注」が登場する度に,当時の探検隊が決死の覚悟で入手したことに敬意の思いを感じざるを得ません。

 ちなみに敦煌文書は,滅亡した王朝である西夏が異民族の侵略から貴重な文書を守ろうとして保管したものとされています。井上靖「敦煌」,そしてその本を原作とする映画「敦煌」にも莫高窟の隠し部屋に文書を埋め込むシーンが描かれています。

 

4.『河口慧海日記 : ヒマラヤ・チベットの旅』 / 河口慧海 [著] ; 奥山直司編, 講談社, 2007.5
  (中央図開架289.1:K22)  
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 大谷光瑞とほぼ同時代,当時,厳重な鎖国政策の地であるヒマラヤ・チベットに外国人として初めて入国に成功した河口慧海の旅行記です。「十月一日,朝六時発足して東南に進む。不食の故にほとんど足を進むこと能わず。一理半ほど来たりし時に,昨日長行の疲労と依雪眼病の苦痛と凍寒飢餓の困難と湊合して最早歩を進むること能わず。さりとて人家の宿る処に着かざれば,このまま草原中の露と消へん。強ひて足を進めんとすれば蹌踉飄漂として雪中に疆る。進退全く極まりて草雪中に坐す。」

 日本の漢方薬の原料は中国大陸からの輸入品で占められています。しかし日中国交正常化(1972年)まで日本人は自分たちが使用している原料の生産地を確認する術がありませんでした。中国周辺国に漏れ出てくる情報が唯一のものでした。中でもネパールヒマラヤはチベットと植物相や文化圏が近いということで当時の薬学者や植物学者はこぞってネパールヒマラヤを目指したのです。このような研究者にとって河口慧海のこの日記がバイブルであったことは言うまでもありません。

 ちなみに,この内容は「チベット旅行記(全5巻)/河口慧海,講談社,第二回チベット旅行記/講談社」で詳細に記載されています。言葉や言い回しはやや難解ですがより臨場感を味わいたい方は是非,こちらをどうぞ。

 

5.『我に秘薬あり』 / 山崎光夫, 講談社, 2013.3
  (中央図開架913.6 Y19)  
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 「天下を取るには誰よりも長生きせねばならない!」。この書籍のカバーにはこの言葉が記載されています。この本の主人公である徳川家康の生き方はまさにこの言葉のとおりでした。当時の権力者は常に毒殺に怯えていました。そこで「解毒薬」が必要とされたのは容易に理解できることです。この物語では,徳川家康が天下を取ったことの目的を,正倉院薬物を手に入れることに定めています。実は正倉院薬物の中には万能の解毒薬とされる「紫雪(しせつ)」が奉納されていたのです。口中に投じれば淡雪のように融けることから名付けられています。ようやく機が熟し収蔵物を確認したところ,紫雪は使い終わった後でした。次に徳川家康は諦めずに紫雪の再現を試みます。侍医の吉田宗恂と二人で材料の解明,作り方の試行錯誤をして復元に成功します。この紫雪は瀕死の家光(後の三代将軍)を救ったことになっています。

 この「紫雪」は,「耆婆万病円」,「「烏犀円」とともに加賀三味薬といわれる秘薬でもあります。加賀藩にゆかりがある皆さんにこそ是非,名前だけでも知っておいてもらいたい歴史的な薬物です。

 

6.『紅茶スパイ : 英国人プラントハンター中国をゆく』 / サラ・ローズ著 ; 築地誠子訳, 原書房, 2011.12
  (中央図開架619.8:R797)  
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 19世紀,大英帝国は中国のみに産する茶の木を何とか手に入れて安定的に茶葉を入手することを望んでいました。この背景には,英国の綿製品をインドへ,インドのアヘンを中国へ,中国の茶を英国に,という三角貿易がありました。「中国茶の最高の製法を最高の茶産地から手に入れる」というプラントハンター役に選ばれたのはロバート・フォーチュンでした。彼は中国人に変装し,外国人に開放されていない内陸部まで入り込みお茶を入手します。アヘン戦争,太平天国という動乱の時代のノンフィクションの物語です。彼が持ち出しに成功した種がインドの東インド会社での栽培化に成功し,ダージリンティーをはじめとするインド紅茶になっていくのです。現在,私達が緑茶,紅茶を気軽に楽しむことができるのにもこのような背景があるのです。

 

7.『「お釈迦さまの薬箱」を開いてみたら』 / 太瑞知見, 河出書房新社, 2021.5
  (中央図開架183.8 T135)  
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 これまでの書籍の紹介で,医療行為(薬物)と仏教の一体性が想像できると思います。お釈迦様の教えは倫理面だけではなく健康維持のための保健衛生学も説いています。この本の著者は,薬剤師でありながら仏教経典の原文を理解するためにサンスクリット語を極め,現在は住職を務める異色の経歴を持っています。お釈迦様が説く教えをエッセイ風にわかりやすくまとめたものです。「粥有十利(しゅうゆうじゅり):お粥には十の功徳(薬効)」がある」,「ショウガは常備薬:アーユルヴェーダ,漢方,民間薬としての重要な薬物」,「歯磨きの習慣のすすめ:歯磨きをしないと十の過ちが生じる」のような薬学の知識に基づくものから,「トイレの使い方:トイレでお経を読んだり座禅をしたり居眠りをしないこと」という内容まで,ユーモアを交えた解説があります。

 著者はあとがきで禅語である「啐啄同時(そつたくどうじ)」という言葉を紹介しています。ひな鳥が卵からかえる時に,内側から一生懸命に殻をつついて外の世界に出ようとします。その時,親鳥が卵の外側からつついて,ひな鳥が生まれ出てくるのを助けてあげるのだそうです。自分だけの力ではなく,タイミングよく誰かの手助けがある,自分ひとりの力だけで生きているのではない,という意味だそうです。人との交流がはばかられる昨今ですが,せめて物的,知識的に多くに接する機会を持つことをオススメします。

 

 

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