暁烏敏展:暁烏敏没後50年記念企画
- 2003年04月06日
- 中央図書館
◎日時 平成15年4月7日(月)~5月30日(金)(土日祝日を除く) ◎場所 金沢大学資料館展示室 金沢大学の所蔵する未公開の書画,自筆の日記や草稿,刊行物,愛蔵の陶磁器コレクショを展示公開します。 |
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没後五十年記念「暁烏敏展」出品目録
Ⅰ.著作,日記,草稿
1. 和歌名林集
29首.明治24年1月より.12×18cm. 22葉. 和綴.金沢大谷尋常中学に入学して間もない頃の作.
2. 風景
金沢大谷尋常中学時代の鉛筆画.
3. 白駒日記
明治27年. 13×20cm. 京都大谷尋常中学の頃.
4. 白駒日記(巻之二)
明治28~29年. 13×20cm. 前年の白駒日記と同じく京都大谷尋常中学時代の日常を克明に記したもの. 5. 僧侶にして外学を修むるの弁
明治29年11月17日. 『作文草稿』(8篇68葉)中の一.敏の宗教的視野の卓抜さを伺い知ることのできる評論文である.
6. 雨月詠草
明治28年12月30日-29年4月. 17×12cm. 俳句,和歌,詩などをメモした帳.
7. 『無尽燈』原稿
『無尽燈』は明治28年11月に創刊された大学の学術機関誌で,敏は明治30年2月より編集の任にあたる.
8. 雨月漫吟
明治31年9月16日より33年2月22日まで. 16×24cm. 120葉.和綴. 多くの句,歌が記されている. 序文は多田鼎,龍山海塢.
9. 小絃集
明治31年10月編. 16×24cm. 36葉. 歌集. 自筆草稿.
10. 紅影集
明治31年10月編. 16×24cm. 69葉. 新体詩を集めた詩集. 自筆草稿.
11. 佛教の真精神
明治33年4月13日発行. 無盡燈出版部刊. 四六版. 168頁. 厳如上人七回忌記念出版. 当館蔵本には「これ予が処女作也」と自筆の書き込みあり.
12. 外交官志願上申文下書
明治33年5月上旬. 5葉. 法主宛. 真宗大学卒業後,外交官になろうとして書いた上申文.
13. 大佛小佛録
明治33年11月8日より明治40年10月23日. 15.5×23cm. 黄色表紙.和綴. 随想録.
14. 精神界 創刊号(誕生の辞)
原本と復刻版. 明治34年1月15日発行(月刊). 浩々洞,精神界発行所刊. 菊版. 52頁. 暁烏敏編集. 誕生の辞は創刊号の巻頭.『精神界』は編集者が変わりつつも大正7年まで刊行された.
15. 霊界之偉人
明治34年5月28日. 無尽燈同人編.森江書店刊. 四六版.256頁.雑誌『無尽燈』所載のものに一部加筆したもの. *ただし展示は3版.
16. 精神主義原稿
清沢満之著「精神主義」(精神界創刊号所載)を単行本『精神主義』(明治35年6月,浩々洞刊)のために暁烏敏が筆記したもの.
17.『歎異抄』を読む(一)
『精神界』第3巻1号(明治36年1月10日発行)と自筆原稿. 明治36年1月より43年12月まで,8年間55回にわたって連載され,44年に『歎異抄講話』として刊行された. *講談社学術文庫版も展示.
18. 清沢満之修養十則(明治36年日記)
明治36年3月4日. 『明治三十六年日記』表紙裏に書かれている.大浜西方寺にて書写.
19. 春の頌
明治36年4月22日発行. 文明堂刊.B6版.209頁. 浩々洞同人(清沢,多田,佐々木,暁烏)著. 『精神界』明治35年度掲載文を編集.
20. 迷の跡
明治36年6月3日発行. 文明堂刊. 四六判. 266頁. 詩集. 明治31年よりの新体詩を集めたもの.
21. 明達寺宛葉書
明治36年6月6日. 清沢満之の死を明達寺に伝える葉書. 大浜西方寺より.
22. 死の問題
明治37年6月10日発行. 文明堂刊. 袖珍版. 『精神界』『無尽燈』『政教時報』等に掲載された随想を編集したもの. *展示は明治44年興文館刊.
23. 霊的生活
明治37年8月10日発行. 浩々洞同人.文明堂刊. 四六版. 164頁. 「(清沢)先生の一周忌紀念の為めに先生の霊前に捧けまつる」とある. 『精神界』明治36年掲載文を編集.
24. 「思郷病」原稿
明治40年6月9日. 未完. 日記に「午後,煩悶,文不成.小説『思郷病』を草して筐底におく」とある.
25. 沈思録
明治40年6月15日発行. 浩々洞同人. 金尾文淵堂刊. 四六版. 280頁. 『精神界』明治37・8年度掲載文. 日露戦争中の論文である.
26. 清沢先生の信仰
明治42年7月1日発行. 無我山房刊. 四六版. 360頁. 清沢満之七回忌記念出版. 金沢崇信学舎にて四高生や金沢医專生への3回に亘る講演に加筆したもの.
27. 人々の死
明治45年4月10日発行. 無我山房刊. 菊判. 234頁. 見返しに「總様 敏」とあり,今川総子に贈ったものと思われる.
28. 凋落
大正2年7月10日発行. 無我山房刊. 袖珍長型版. 278頁. 妻房子の病気療養中から死去後にかけての文章.
29. 大正4年日記(3月15日)
『中外日報』に敏のスキャンダル記事が出たことにより,浩々洞の存廃にかかわる事態となり,『精神界』廃刊が決まる. 敏は北安田にひきこもって,静かに読書にふけるのである.
30. 汎濫 大正6年4月15日号
『精神界』解散の後,藤原鉄乗,高光大船は加賀に帰って雑誌『旅人』を発刊する. 大正5年11月の明達寺報恩講の折,敏の同人加入を相談.『旅人』を『氾濫』と改題する.『氾濫』は加賀の三羽烏といわれた暁烏,藤原,高光の活躍の場となる.
31. 触光手記と多田鼎の葉書
大正8年11月10日発行. 法文館刊. 四六版. 424頁. 明治39年から44年にかけて発表された文章を集めたもの. 葉書は発行後に多田鼎から届いたもの.
32. 更生の前後(旧慮を出でつゝ)
大正9年3月30日発行. 護法館刊. 四六判. 524頁. 『独立者の宣言』『前進するもの』と共に更生三部作と呼ばれるものの第一作. 大正2年から5年にかけて『精神界』に発表された文,浩々洞を去ってからの未発表の文及び日記等を編集したもの.
33. 生くる日(にほひくさ叢書第1巻)
大正10年1月5日発行. 香草舎刊. 四六版. 232頁. 個人執筆の著作集「にほいくさ叢書」第1巻. 発行所は香草舎と名付けられ,その後の著作は殆どここから出版された.
34. 親鸞聖人論
自筆原稿と図書. 大正10年2月28日発行. にほひくさ叢書第二巻. 青年親鸞の苦悩を見つめた論文. 原稿は大正9年12月24日から30日まで片山津温泉矢田屋に籠もって草されたもの.
35. 獨立者の宣言
大正10年4月10日発行. 丁字屋書店刊(第5版以後は香草舎より).四六判. 424頁. 更生三部作の第二. 大正6年から9年にかけて,主として『汎濫』に掲載された文章を集めたもの.
36. 前進する者
大正10年11月15日発行. 丁字屋書店刊(第4版以後は香草舎より). 四六判. 370頁. 更生三部作の第三. 大正7年から9年にかけて『汎濫』『中外日報』等に掲載された文章を集めたもの.
37. 温かき大地
自筆原稿と図書. 大正10年11月25日発行. 香草舎刊. 四六版. 306頁. 大正9年末から10年2月までの詩歌を収録.
38. 薬王樹創刊号
大正11年1月21日発行. タブロイド判. 8頁. 著作集刊行だけでは間があくため,その間の思索を発表するために企画された月刊誌.
39. 華厳三昧の中より
にほひくさ叢書第7巻. 大正11年9月5日発行. 香草舎刊. 四六版. 329頁. 大正10年7月から10月にかけての詩歌を収録. 序歌は『華厳経』の輪読から生まれた.
40. 運命論者の群
北安田パンフレット第1. 大正11年10月25日発行. 香草舎刊. 袖珍本. 84頁. 大正8年10月鹿児島における講演をまとめたもの. 「北安田パンフレット」は講演筆記の出版のために企画されたものである.
41. 沈黙の自殺者
にほひくさ叢書第10巻. 大正12年4月5日発行. 香草舎刊. 四六判. 494頁. 敏を慕って明達寺に来た青年,藤憲道が大正10年10月に自殺. その彼を偲んで,本人の文や書簡,敏の詩などを編集し,出版された.
42. 原谷とよ追想文及び詩
最初の文は, 大正14年1月5日にかかれている.和綴. 美濃判. 自筆. 130頁.
43. 母の死
にほひくさ叢書第2輯第1巻. 大正14年2月21日発行. 香草舎刊. 四六版. 358頁. 母の死とその前後の文及び母を憶う歌370首等を集めて一周忌記念の為に出版された. *大正13年日記も展示.
44. 大正15年の日記. 3月6日
親友佐々木月樵の逝去を記したページ.
45. 人
自筆原稿と図書. 原稿は和綴,半紙判. 200頁.大正15年6月. 『中外日報』8000号を記念して企画された「八想録」の一.越後東北旅行中,講演や揮毫の間をみて書かれた随筆集.
46. 釈迦基督その他
昭和2年6月3日発行. 春秋社刊. 四六判. 395頁. 釈迦,基督,プラトン,親鸞,日蓮,荻生徂徠,ルソー,原谷とよ等について『願慧』等に掲載の12篇を収める.
47. 老境の黎明
にほひくさ叢書第2輯第4巻. 昭和2年7月1日発行. 香草舎刊. 四六判. 665頁. 敏48歳から50歳までにかけて記した文章を集めたのもの.
48. 印度佛跡巡拝記
昭和3年9月20日発行. 暉峻康範共著. 香草舎刊. 四六版. 436頁. インド更紗模様布表装. 印度佛跡巡拝の旅中より送られ,昭和2年1月か
ら11月まで『願慧』に掲載された紀行文を集め加筆したもの.
49. MAKOTONO KOKORO
昭和4年4月1日発行 . ローマ字本. 香草舎刊. 四六短型版. 107頁. 『信の提唱』のローマ字書きで,京大生曽我晋作の訳になる.
50. あめりか旅行日記(三帰の歌)
昭和4年4月より7月までのアメリカ・ハワイ旅行日記帳. 「三帰の歌」は4月18日,アメリカへの船中にて作詩.
51. 地球をめぐりて
昭和5年1月15日発行. 香草舎刊. 四六判. 386頁. 昭和2年のインド,ヨーロッパ旅行から,昭和4年のアメリカ旅行までの,地球をめぐる旅の歌を収録した歌集.
52. ハワイの印象
昭和9年7月20日発行. 香草舎刊. 四六版. 394頁. 昭和4年のハワイ・アメリカ旅行と昭和8年のハワイ旅行の2度の印象を記し集めたもの.
53. 大日本経典
昭和9年8月17日発行. 香草舎刊. 布表紙折本. 非売品. 秋田県の三輪農士学園設立に際し,中心精神の確立を依頼され,歴代詔勅や,十七条憲法などを編纂したもの.
54. 願慧 昭和10年1月号
昭和10年1月25日発行. 香草舎刊. タブロイド版. 本号に「大報恩会発願文」が発表された.『願慧』は『薬王樹』の改題(大正14年1月).
55. 聖徳太子奉賛講和
昭和10年3月20日発行. 東方書院刊. 四六判. 593頁. 昭和6年以後9年までの数百回に及ぶ講和より,8講を選んで出版. 『聖徳太子十七条憲法講話』と姉妹篇. 共に大報恩会の聖徳太子霊前に捧げられたもの.
56. 聖徳太子十七条憲法講話
昭和10年3月25日発行. 日本放送出版協会刊. 四六判. 436頁. 昭和9年6月4日より12回,金沢放送局より全国放送された講話と,昭和6年10月の鹿児島市の大谷派別院での講話(10講)を収録.
57. LA JAPANA SPIRITO
昭和11年4月5日発行. 香草舎刊. 袖珍版. 92頁. 昭和5年5月1日より3日までの金沢市公会堂での講演『日本精神』のエスペラント訳.
58. Selections from the Nippon seishin (Japanese spirit) library
昭和11年6月5日発行. 香草舎刊. 菊版. 144頁. 『歎異抄』(親鸞),『我信念』(清沢満之)および敏の著作3篇の英訳を収めたものである.
59. 凡夫の道
昭和12年2月20日発行. 新英社刊. 四六版. 542頁. 昭和2年より5年までの『願慧』巻頭文43篇を集めたもので,見返しに黍の画を入れた
瀟洒な本.
60. 華訳信心的提唱(中国語訳)
『信の提唱』(北安田パンフレット15)の中国語訳. 昭和14年5月1日発行. 香草舎刊. 四六版. 50頁. *日本語版も展示.
61. 清沢満之先生の文と人
昭和14年5月15日発行. 暁烏敏編. 大東出版社刊. 四六版. 300頁. 最後に「清沢満之先生小伝」および「清沢満之先生年譜」があり,編集は昭和12年7月頃成ったものと思われる.
62. 日本教育道
昭和16年12月27日発行. 玉川学園出版部刊. B6版. 250頁. 小原国芳玉川学園園長の依頼により,教育革新叢書の一冊として書下ろしたものに講話6篇を加えて編纂されている.
63. 報恩講暦
北安田パンフレット60. 昭和17年3月1日発行. 香草舎刊. 袖珍版. 34頁. 大正11年10月から刊行が続いた北安田パンフレットの最後のもの.
64. 生活刷新の理念
昭和18年5月15日発行. 人文閣刊. B6判. 220頁. 翼賛会調査委員の嘱託となって,国民の生活全体に亘って考える機会を得て,生活刷新の理念について書き下ろしたもの.
65. 我が信念の伝統
20冊. 昭和18年12月25日発行. 香草舎刊. A5判. 昭和11年に催された大報恩会の講演集. 19名の各講師1冊宛と,発願文・雑記その他記録を纏めた1冊の計20冊.
66. 同帰(願慧改題)
昭和19年7月1日発行. 戦時下の紙の統制により,石川県の宗教誌 『護法』(清原公頴),『直進』(高光大船),『太原』(藤原鉄乗)は『願慧』に統合され,『同帰』と改題して刊行された.
67. 父の後を尋ねて
昭和20年12月10日発行. 森丘正唯刊. 袖珍判. 94頁. 終戦直後,富山県 桜井町 森丘正唯家での講演筆記.日本再興への起ち上がりがうかがえる.
68. 広大会 創刊号
昭和27年1月1日発行.香草舎刊. A5版. 48頁. 昭和26年夏の講習 会で「『同帰』その他を合せて『精神界』のような雑誌を,誰か出してくれんかなぁ」という一言から『広大会』が誕生した.
69. 清沢満之全集
全8巻. 昭和27年3月-昭和31年8月. 法藏館刊. B6版. この全集は第2回目の編纂で,暁烏敏,西村見暁の共編. 五十回忌を記念しての刊行である.
70. 広大会 昭和28年1月号
昭和28年1月1日発行. 香草舎刊. A5版. 本号には臘扇堂の建立を発願する「問はるれば答ふ」の一文が掲載された.
71. 広大会 昭和29年9月号
一枚摺号外. 昭和29年9月発行. 表紙武者小路実篤. 昭和29年9月号の一枚摺の号外によって敏の示寂が報じられた.
72. 世と共に世を超えん
昭和29年8月30日発行. 池田書店刊. B6版. 288頁. 戦後十ヶ年の著作を,毎田周一に編集を託した.
73. 香草 創刊号
昭和29年10月1日発行. 香草舎刊. A5版. 56頁. 葬儀終了後の明達寺で,『広大会』廃刊後の新雑誌発刊を協議し,誕生したのが『香草』である.題字は法名「香草院彰敏」よりとった敏筆,表紙絵も敏の遺画.
Ⅱ.書軸
1. 清風吹宝樹
大正14年夏.135cm×68cm(本紙寸法以下同じ).
2. 一本のつつじの花をふたりしてうつしくらへて遊びけるかな
大正14年5月. 130×32cm.
3. 以和為貴無忤為宗
昭和7年正月.聖徳太子『憲法十七条』の言葉.139×34cm.
4. 人有至心精進求道不止会当剋果何願不得
大正13年春.135×68cm.
5. 白雲抱幽石
昭和10年正月.139×35cm.
6. 応無所住而生其心
大正13年春.137×41cm.
7. 善男子汝今若能登此刀山投火聚者菩薩諸行皆悉清浄
大正13年秋.『華厳経』巻第64にある言葉.141×48cm.
8. 我独雖得従衆同挙
昭和14年初夏.聖徳太子『憲法十七条』の言葉.136×35cm.
9.過諸法性達衆生相明了諸国
大正15年春.138×34cm.
10. 胸裏常有声馬鹿〃〃
昭和5年初秋.73×40cm.
11.聖寿萬歳
135×35cm.
12. 梅雨晴のひかりうれしも水難の人の事など思ひやられて
盲目書.133×36cm.
13.石泉流啼壁草露滴秋根
昭和5年初秋.72×40cm.
14.我亦在彼摂取中
昭和6年2月.134×34cm.
15.天武なり転也転転転転転転転転転
128×32cm.
16.南無阿弥陀仏
昭和19年3月.129×32cm.
17.日のくにの日の子供等は日のかげにこころおどりてはねまはるかな
昭和15年.136×35cm.
18. よみたしとあつめしふみをのちにくるひとにのこしてやすくよをさる
暁烏文庫の蔵書票に記された歌. 43×140cm. *蔵書印,蔵書票も展示.
Ⅲ.暁烏文庫の貴重書
1. 大般若波羅蜜多経 第47の7 初分真如品
[平安時代]写. 紺紙金泥経. 巻子本.
2. 大般若波羅蜜多経 第66 初分無所得品 第18の6
三蔵法師玄奘奉詔訳. [鎌倉時代]刊. 春日版. 巻子本.
3. 仏説高王観世音経
[中国宋代]刊. 折本. 高山寺旧蔵. 徳富蘇峰から暁烏敏に贈られたもの.
4. 棟方板画愛染品
棟方志功著. 大日本板画院. 昭和21年. 15葉. *暁烏宛葉書も展示.
5. タゴール自筆詩句
暁烏敏は昭和2年1月かねてから念願であった仏跡拝訪の途中,一行から抜けてタゴール(Rabindranath Tagore, 1861-1941)の住むサンチニケタ村を訪ねた. その時にこの詩句を贈られた. 最初の部分はベンガル語で,英語の部分はその対訳(?)だと思われる.
Ⅳ.暁烏陶磁器コレクションから
1. 外国旅行の蒐集品
大正15年11月から昭和2年7月にかけて,インドから中近東を経てヨーロッパめぐる外国旅行を行った. その時の蒐集品.
(ヨーロッパ陶磁器)
草花文黄釉水注
略字文壷
草花絵カップ
鳥獣草木文壷
チューリップ絵皿
人物風景絵染付皿
戦争絵(文字)入皿
人物山水絵皿
草花文染付皿
(ペルシャ陶磁器)
草花文三彩小壷
草花花形口壷
草花文広口壷
2. 国内陶磁器の名品
益子焼茶碗 栃木
九谷木米倣画大皿 石川
伊万里焼草花文大皿 佐賀
瀬戸焼草花文大壷 愛知
星野焼三耳大壷 福岡
Ⅴ.扁額,色紙,短冊,その他
1. 扁額「汝自当知」(なんじ自らまさに知るべし)
大無量寿経の一節. 本紙34×140cm. 暁烏はかつて恩師清沢満之からデルフォイの神殿の箴言「汝自らを知れ」を与えられていたが,大無量寿経の中にも同じ言葉を見出した.「私は私自身を知ることにのみ力を注ぎつつあった」と述べるように,「汝自当知」の語は暁烏によって「自身を知る」と解釈され,それが暁烏の生涯の標語となった.多くの揮毫にこの語を選んだ.
2. 色紙
短歌「孫の友の村の子供の集ひきて子供の家となりにける哉」
画「柿」,「ヒヤシンス」,「牡丹」,「彼岸花」
3. 短冊帳
「つくつくほうしねころんで梨をくふ」他.
4. 画賛
「香へるとて峰の岩間に生えし蘭を小鉢に移し枯したるかな」(大正13年3月4日) *春蘭の画は大橋?二郎(号は廉堂)の作.
5. 写真
暁烏文庫記念式典(昭和25日4月29日).
暁烏敏40才,大正5年8月明達寺にて.
暁烏家,大橋家の子供たちと.
その他多数.
6. 清沢満之肖像
清沢満之(きよざわまんし 1863-1903)の肖像.明治42年6月6日は満之の七回忌にあたる.弟子の佐々木月樵がその年の2月に画家("R.Ko"の署名あり)に依頼して描かせたもの.これに南条文雄(なんじょうぶんゆう 1849-1927)が前年10月16日に満之が住職を務めた大浜(愛知県)の西方寺に宿泊した時詠んだ追憶の漢詩を画賛として書いた.
清沢満之の七回忌法要は佐々木月樵,暁烏敏,多田鼎を責任者として東京の真宗大学講堂で6月5日,6日,浅草本願寺で7日と3日間にわたっておこなわれた.真宗大学の法要では満之の先輩である南条文雄が導師を務めた.この掛軸はおそらく法要に掛けられていただろう.暁烏敏は6月5日の日記に次のように記している.「予,ひた泣きに泣かる.悲しきか,あらず,うれしきか,あらず,たゞ泣かる.経をよみ得ず.佐兄(佐々木月樵)開会の辞,泣いて言へず.」続きを隠す<<