第55回金沢大学暁烏記念式・記念講演
日時:平成16年4月29日(木・祝日)13:30~ 15:30
[講師紹介]
名古屋大学文学部印度哲学科卒業。同大学院文学研究科博士(博士後期)課程中退。昭和52年名古屋大学文学部助手。昭和61年愛知学院大学文学部助教授。平成3年金沢大学文学部助教授。平成13年より現職。
■研究テーマ
仏教の比較文化学的考察,バクティ運動の歴史的展開,不二一元論学派の思想的展開
■著書
『スリランカの仏教』(法蔵社,2002)/『シャンカラ』(清水書院,2002)/『ファンタジーの世界』(九州大学出版会,2002,共著)/『ジュニャーネーシュヴァリー(1-3章)』(金沢大学比較文学研究室,2002)
■論文
「マントラとヤントラの用法―NSA第二章和訳、『仏教の修行法』(阿部慈園博士追悼記念論集)/『聖註』Ⅰ.1.1-4和訳、金沢大学文学部論集(行動科学科・哲学編)22号
■学会活動等
日本印度学仏教学会(理事,2003~),日本宗教学会(理事,2000~),日本仏教学会,日本民族学会,日本南アジア学会(理事,2000~),東方学会,比較思想学会,パーリ学仏教文化学会(理事,2003~),日本西蔵学会,宇ノ気町県民講座招待講演(2003.7),国際日本文化研究所研究会「聖なるものの形と場」招待講演(2001.3)
[暁烏記念式とは]
石川県松任市出身で、明治・大正・昭和の思想界・宗教界に大きな影響を与えた暁烏敏(あけがらす・はや)師が、個人蔵書としては類を見ない広範な学問分野の書籍約5万冊を、金沢大学に寄贈されたことを記念し、師の遺徳を偲ぶ行事として、毎年挙行されている。今年は53回目を迎えた。
[暁烏 敏について]
暁烏敏(1877~1954)は,松任市の明達寺に生まれた真宗大谷派の僧である。明治時代は,宗門の禁書であった『歎異抄』を始めて世に広め,仏教の近代化に尽くした清沢満之の信仰をつたえ,仏教雑誌『精神界』に執筆編集した。
大正時代には,自己の性欲の懊悩の中から,独立者としての人間の解放を課題とし,年の三分の二は全国を行脚して信徒たちに語った。昭和時代前期には,世界の宗教と哲学と文学とを渉猟し,自らも世界を旅し,「浄土」としての国家の在り方を求めた。
晩年は全くの盲目となり,鑑真にも似た風貌には,人間の深い精神性が体現されている。昭和25年,青年時代から集めた5万冊余の書籍を「暁烏文庫」として金沢大学に寄贈した。(松田章一記)
◎記念式 13:30~ ◎記念講演 14:00~ ◎場 所 金沢大学サテライト・プラザ (金沢市西町教育研修館内) 金沢市西町3-16 / TEL 076-232-5343 地図 ◎記念講演 「聖なるものを求めて:ある日本人僧と現代インド仏教運動」 講師:島 岩(しま・いわお)氏(金沢大学文学部教授) | |
[講師紹介]
名古屋大学文学部印度哲学科卒業。同大学院文学研究科博士(博士後期)課程中退。昭和52年名古屋大学文学部助手。昭和61年愛知学院大学文学部助教授。平成3年金沢大学文学部助教授。平成13年より現職。
■研究テーマ
仏教の比較文化学的考察,バクティ運動の歴史的展開,不二一元論学派の思想的展開
■著書
『スリランカの仏教』(法蔵社,2002)/『シャンカラ』(清水書院,2002)/『ファンタジーの世界』(九州大学出版会,2002,共著)/『ジュニャーネーシュヴァリー(1-3章)』(金沢大学比較文学研究室,2002)
■論文
「マントラとヤントラの用法―NSA第二章和訳、『仏教の修行法』(阿部慈園博士追悼記念論集)/『聖註』Ⅰ.1.1-4和訳、金沢大学文学部論集(行動科学科・哲学編)22号
■学会活動等
日本印度学仏教学会(理事,2003~),日本宗教学会(理事,2000~),日本仏教学会,日本民族学会,日本南アジア学会(理事,2000~),東方学会,比較思想学会,パーリ学仏教文化学会(理事,2003~),日本西蔵学会,宇ノ気町県民講座招待講演(2003.7),国際日本文化研究所研究会「聖なるものの形と場」招待講演(2001.3)
[暁烏記念式とは]
石川県松任市出身で、明治・大正・昭和の思想界・宗教界に大きな影響を与えた暁烏敏(あけがらす・はや)師が、個人蔵書としては類を見ない広範な学問分野の書籍約5万冊を、金沢大学に寄贈されたことを記念し、師の遺徳を偲ぶ行事として、毎年挙行されている。今年は53回目を迎えた。
[暁烏 敏について]
暁烏敏(1877~1954)は,松任市の明達寺に生まれた真宗大谷派の僧である。明治時代は,宗門の禁書であった『歎異抄』を始めて世に広め,仏教の近代化に尽くした清沢満之の信仰をつたえ,仏教雑誌『精神界』に執筆編集した。
大正時代には,自己の性欲の懊悩の中から,独立者としての人間の解放を課題とし,年の三分の二は全国を行脚して信徒たちに語った。昭和時代前期には,世界の宗教と哲学と文学とを渉猟し,自らも世界を旅し,「浄土」としての国家の在り方を求めた。
晩年は全くの盲目となり,鑑真にも似た風貌には,人間の深い精神性が体現されている。昭和25年,青年時代から集めた5万冊余の書籍を「暁烏文庫」として金沢大学に寄贈した。(松田章一記)